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思い出に残る食事

1 名前:もの食うひと投稿日:2000/02/26(土) 17:14
いや、うまい・まずいはどうでもいいんだ。なんか状況とともに思い
出すってやつ。
おれは5年前に好きだった女の子と食ったスパゲッティだ。柄にも無く、
神戸のイタメシ屋でボンゴレなんぞを食していたのよ。相変わらず面白く
もない冗談連発してた。そしたら彼女が突然泣き出したんだ。くわしい
事情は省くが、おれにはどうすることもできない話だった。おれは
ただズルズルとスパゲッティ食ってたよ。
今日、あさりのスパゲッティを食って、突然そのときのことを思い出した。
あのときの彼女の表情や声がくっきりと蘇ってきたんだ。
それでなんか食い物ってすごいなと思ったわけだ。みんなにはこんな
経験ないだろうか? あったらぜひ教えてほしい。

2 名前:10年前の横浜博覧会投稿日:2000/02/26(土) 18:08
ひとりで
ビックマックとスプライト、、、
そのときのビックマックは箱が紙でできたいるやつだった
(フライドポテトのMのやつと同じ紙質)なんか
そのときのことを考えると頭がほわーんとする

3 名前:名無しさん投稿日:2000/02/26(土) 21:24
高校の寮は死ぬほどメシがまずかった
死ぬほど。マジであんなにまずいメシは成長期の
食べ盛りには酷だった。
それで少ない小遣いからやりくりして学食のカレーを時々食ってた
そのうまかったこと。

昨日自分でカレーを作ったら、ちょっと焦げさせてしまった。
そしたら学食のカレーとおんなじ匂いがして
途端にもう十年近く前のことをいろいろ思い出したよ。
なんか若いと思ってたけど、もう自分も
高校生だったのは遠い昔だったんだなーとちょっとセンチになったよ。

>1
せつないね・・・

4 名前:名無しさん投稿日:2000/02/27(日) 00:22
20年前の小学校入学後、はじめての給食。
ハムサンドのからしが死ぬほど辛くて、それ以来、
高学年になるまで、給食に苦しみました。

5 名前:シュークリームだぜ投稿日:2000/02/27(日) 01:20
6年前の話。東京の大学に進んだ女の先輩から、突然電話があって、
ケーキを奢ってくれるというので、ケーキ屋についていった。高校生の
時よりずっときれいになってた先輩と2人でシュークリームを食べるの
は、照れくさかったけれど、うれしくて、僕は「おいしいですね」
ぐらいしか言わなかったと思う。先輩が、
「東京にはもっと美味しいケーキ屋さんが一杯あるわ」
と言ったのだけは今でも憶えている。それを聞いて、なぜか腹だたしく
思ったことも。後から、先輩は当時どろどろの恋(?)をしていたのだ
と知った。
その先輩も去年結婚。家に来た写真入りの葉書には、あの時の、なにか
張り詰めたような表情は無くて、高校時代の優しそうな顔に戻っていた。
今でもシュークリームを食べると、ウブな少年だったあの時のことを
思い出します。

6 名前:食べ物で記憶が投稿日:2000/02/27(日) 03:58
…マルセル・プルーストですね。


7 名前:何を食べたかは覚えてない投稿日:2000/02/27(日) 05:36
彼女が昼ご飯食べようとマックに誘ってきた。
入って食べ終わったあとも彼女はやけにたわいも無い話を続ける。
と突然彼女から別れ話を持ちかけられた。
なんだよおいと憮然とする俺、何故か泣き出す彼女。
周りの高校生がちらちらこっちを見てた。
俺はひたすら飲み終わったジュースの氷をガリガリ食ってたな。

8 名前:>7投稿日:2000/02/27(日) 06:21
マックで別れ話なんて・・・やりきれないね

9 名前:三十路男投稿日:2000/02/27(日) 16:27
高校3年の部活最後の試合が終わってから食べにいったメンチカツ定食。
食事よりも会話が思いでに残ってる。
友人「終わったな・・・・・」
私「終わった。やっと終わった。」
友人「長かったな・・・・・」
私「長かった。本当に長かった。」
友人(笑い)
私「?」
友人「○○(私の名前)とメシ食いに来てよかったよ。
    ○(もう一人の同学年の部員)だったら "うん" しか言わないからな。」
もう一人の同学年の部員はその時はなぜかいませんでした。
別に嫌ってた訳じゃなけど。

10 名前:もの食うひと投稿日:2000/02/27(日) 18:05
レスありがとう。しかし「思い出」と言うのはせつないもんだなあ。
それと男が多いぞ。男の方が感傷的なのかもしれんな。
だが「センチメンタルで何が悪い」ってのが、おれのモットーだ。
他のスレッドの迷惑にならない程度に、よかったら書きこんでくれ。
それから、マドレーヌに紅茶をぶっかける大河小説は、読んだことが
ないのでよく知らんのだ。すまん。


11 名前:恥ずかしい投稿日:2000/02/29(火) 04:09
ゆでたまごがまん中に入ってる桜形のかまぼこって知ってる? うちの
あたりではあれを「ばくだん」って言うんだけど、私は子供の頃、あれが
大好きで、スライスしたまん中のあたり、黄身のおっきいところを大事に
とっておいて、端からちびちび食べてたのよ。そしたら横から、弟が
それをぱくっと‥。
その後は惨劇だった。30分後、鼻血を出して泣いている弟と、その横で
半狂乱になって泣き叫ぶ私が‥。親はあきれて呆然とするばかり。
今から考えると、なんでそこまでって思うんだけど‥。
今でも「ばくだん」を食べると血が騒ぐわ、ってことはないよ。
‥色気のない話ですみません。



12 名前:名無しさん投稿日:2000/02/29(火) 20:27
食べ物の恨みはこわい。。。

13 名前:2投稿日:2000/02/29(火) 20:41
食べものの恨みは怖いってのはホントだと思う。
俺は特別意地汚いほうだとは自分で思わないけど
楽しみにとっといた食べものとかを横取りされると
自分でも驚くぐらいの憎悪を覚えることがある。
食い物やでとなりのやつの方が、盛りが多いとかで
ケンカになっちゃったって記事が時々あるけど
わかるような気もする。

14 名前:かなちゃん、おめでとう投稿日:2000/03/06(月) 01:49
つきあってた男にふられた時、後輩と2人でやけ酒飲んで、そのまま
後輩の家へ。わめいていたからのど乾いちゃって、冷蔵庫開けたら、
飲み物って牛乳しか入ってないの。
「先輩、ミルクおいしいですよ」と彼女が言って、お鍋であっためて
くれた。彼女は気を使ってくれて「北海道のミルクはおいしかったなあ」
とか「子供の時は熱だしたら、いつもホットミルクでしたよ」とか、
どうでもいいことを饒舌におしゃべり。 私はそれを聞いているうちに
なんだか悲しくなって、とうとう声あげて泣いちゃった。
そしたら彼女が「なんか悪いこと言いました?」って取り乱しておろおろ
しちゃって‥。それがおかしくって結局2人で大笑いしてしまった。
彼女が春に結婚するって聞いて、思い出した話です。どこかに書きたくて
ここに書かせてもらいました。
今夜は、ホットミルクを飲んで寝ることにしましょう。


15 名前:>14投稿日:2000/03/06(月) 14:00
(・_・)(;_;)(T_T)……(^_^)

16 名前:おっちゃん投稿日:2000/03/06(月) 15:45
ええ話やなぁ

17 名前:恋愛とは関係ないんですが・・・投稿日:2000/03/06(月) 16:09
祖母がボケ始めた頃、海外在住だった私は一時帰国して、和歌山まで
遊びに行きました。二年程会っていなかったのですが、以前はしゃきっと
していて厳しかった祖母が、仏さんみたいな顔で笑いかけてくれて、電子
ジャーに残っていたご飯でおにぎりをつくってくれました。「食え、食え」
と言って。
祖母と同居していて、一緒にいた従弟が「おばあちゃん、そのご飯、もう
古いんちゃうかー」と明るく言って、私の方をちら、と見て「食わんでええ」
と小声で言いました。でも私はどうしても食べたかった。だから、海苔も
塩味も何もついていない、ご飯を丸めただけのおにぎりを、口にほおばり
ました。電子ジャーの中に何日残っていたのか知りませんが、ご飯はぽろ
ぽろで変色しており、確かにおいしくなかったんですが・・・。
でも祖母が嬉しそうに私のことを見ていてくれたので、こぼさないように
頑張って噛みました。
それが祖母とのこの世での別れになりました。だから今でも、電子ジャーに
残ってしまって、ちょっと古くなったご飯を見るたびに涙がでそうに
なります。ぽろぽろのご飯の舌触りも、絶対に忘れないと思います。

18 名前:ocq投稿日:2000/03/06(月) 17:29
17さんの書き込みを読んで思い出した。
随分前になくなったおばあちゃんが作ってくれた「ずんだもち」。
緑色のお餅だったんだけど、なぜかわたしは食べる気がしなくて、せっかく「食べてね」って勧めてくれたのに、結局食べなかった。
そのあとおばあちゃんは亡くなり、、、。
せっかくせっかく食べさせようって思って一生懸命作ってくれたものなのに、なんでわたしはひとくちでも食べて「おいしいよ」って言ってあげられなかったんだろうってずっと後悔している。

17さん、いいお話聞かせてくれてありがとう。
わたしも人の心づくしを無にしない人間になりたいです。

19 名前:名無しさん投稿日:2000/03/06(月) 18:45
うぇ〜ん(T_T)

20 名前:独歩さん投稿日:2000/03/06(月) 21:57
泣けてきた。

21 名前:名無しさん投稿日:2000/03/06(月) 23:30
お袋よりもばあちゃんの料理を思い出す人多いんだな。
ばあちゃんが作る魚のてんぷらが大好きだった。安いてんぷら粉を使ったヤツ。
お袋とは折り合いが悪かったばあちゃんの家へ抜け出して、よくせがんであげて貰った。
ハフハフ言いながら一杯食った。安い魚で安いてんぷら粉で。
大人になった頃ばあちゃんが倒れて入院した。骨と皮だけになって意識も戻ったり戻ら
なかったり。見舞いに行ったときオレの顔を撫でてくれたけど誰だか分っちゃいないな、
みんなにやってたから。病室ではお袋や親戚がいつも揉めてた。世話の事や墓のことまで
大声で。それを見るのが嫌で病院へ行かなくなった。
ばあちゃん死んだ。葬式ではお袋も親戚もみんな泣いてた。俺は不思議と涙も出なかった。
一人になっててんぷら粉と魚をスーパーで買ってきて生まれて初めて料理をしてみた。
出来上がったてんぷらが堅くって真っ黒焦げで、その余りのまずさに食ってるうちに泣け
てきた。

22 名前:ゆめすけ投稿日:2000/03/06(月) 23:42
ちょっと泣きました。

23 名前:名無しさん投稿日:2000/03/07(火) 02:15
「一杯のかけそば」板になってきましたねー。
と、平気で水を差す私は、この板で2回ほど泣かせられました。

24 名前:名無しさん投稿日:2000/03/07(火) 02:18
>23

そうだね。でも一杯の掛けそばよりはまともだろって気もしますが。
泣いたのってどれ?私は17でちょっとウルってきました。

25 名前:>18投稿日:2000/03/07(火) 03:33
17です。哀しいこと思い出させてしまってごめんなさいね。
自分の書き込みを読んで、その後18さんの書き込みを読んだら
余計泣けてきてしまいました。だって、結局「食べられなく」て
それをおばあちゃんに言ってあげられなかったんですものね。
「おいしいよ」と嘘はつけなかったけれど、最後のおにぎりを
ちゃんと食べられた私は幸福者だったんだなー、って思いました。

ミルクの話も天ぷらの話も泣けます。もっともっと聞きたいです。

26 名前:名無しさん投稿日:2000/03/07(火) 09:37
ほんと、いい話しばかりだ、、、。

食べ物って食欲を満たすだけでなく、
心も満たすんだなあって思った。
人の愛情がその食べ物に込められていればなおさら。

おかあさん、好き嫌いばっか言っててごめんなさい。
一人暮らしをしてみて、はじめておかあさんのごはんのおいしさがわかりました。

27 名前:名無しさん投稿日:2000/03/07(火) 13:33
女子高生の頃、お母さんのつくる「味噌炒め」がイヤでイヤで。
いっつも異常にしょっぱい味付けだから、文句ばかり言ってた。

でも、一人暮らしを始めてから、作る料理全てが
お母さんの味付けとまったく同じ。外食続きで家庭の味に
飢えると作るのは、あの頃大嫌いだった「味噌炒め」。

今、彼氏が旨い旨いと言って食べる私の手料理は、
全部、お母さんの味です。文句言ってごめん。ありがとう。
そんな話ができるようになった今日この頃です。

28 名前:18です投稿日:2000/03/07(火) 14:02
>17さん
もうこういう後悔はしたくないので、今では誰に作ってもらったものでも、とりあえずできるだけ残さずいただくようにしています。(^_^)もぐもぐ。

このスレッド読んでたら、なんかいろんな思い出が蘇ってきました、、、。

29 名前:名無しさん投稿日:2000/03/07(火) 14:55
>27

凄くよくわかる
俺は男だけど、結構自炊もする。
そんなとき自分の味付けの基準になってるのは
母さんの味なんだよね。
ウチの母親はハンバーグとかはお世辞にも上手いとはいえないけど
煮物とか魚料理とかは上手い。あっさりした味付けで仕上げる
それが今の俺の料理の基準になってるね。

にしてもミルクの話は泣かせるね・・・・

30 名前:名無しさん投稿日:2000/03/07(火) 15:11
ミルクの話、後輩が「どうでもいいことを饒舌におしゃべり」って
ことがすごく(T_T)。いい後輩だ。ってことは14さんもいい先輩なんだよね。

31 名前:泣けないミルクの話投稿日:2000/03/07(火) 15:15
転勤する時、実家から母親がアパートに引越しの手伝いに来てくれた。
荷造りもほぼ終わってちょうど冷蔵庫の整理にかかってたら、
予定よりも早く引越屋が到着してドアをノック。「あ、もう来た」って
言った途端、母親が冷蔵庫に残っていた1リットルの牛乳パックを手に
持っていきなりがぶ飲みし始めた。

そんな母は今も元気だ。

32 名前:>31投稿日:2000/03/07(火) 15:20
いいお母さんでないの。

33 名前:名無しさん投稿日:2000/03/07(火) 17:16
微笑ましいですね。(^_^)

34 名前:カールとさつまいも投稿日:2000/03/07(火) 18:11
小学生の頃よくやってた誕生日会。
仲良くなかったんだけど母親がどうしても呼べという子がいた。
クラスでもちょっと毛色の違う子。
その子からは算数のノートを1冊もらった。
正直どうでもよかったのを覚えている。
それから数ヶ月してその子が、廊下に私を呼び出して
自分の誕生日会をしたいから家に来てと言った。
仲良くないので行きたくなかったが
母とサンリオのグッズを選んで結局行った。

家にはその子以外だれもいなかった。
テーブルに置かれたカール。
ケーキもごちそうもそこにはなかった。
「これ全部食べていいよ」
結局2人で食べたんだけど
その後その子がさつまいもをふかし始めた。
料理するなんて驚いた。だってまだ小2。
慣れた手つきで出してくれたさつまいもは
びっくりするほど美味かった。
ずっと「ピアノがあっていいな」と言われてた気がする。
私は「今度弾きに来ていいよ」とは言わなかった。
帰り道母親がその子を呼べといった意味が
何となく分かる気がした。

カールとさつまいも。
彼女の思い出とは切り離せない。

35 名前:独歩さん投稿日:2000/03/08(水) 19:48
また泣けそう。

なんでそう泣かせようとすんの。うぐ。

36 名前:名無しさん投稿日:2000/03/08(水) 22:31
とてもいいお話ばかり。
私も・・・と思ったけど、くだらなすぎるので
他の方にお任せします。


37 名前:もの食うひと投稿日:2000/03/09(木) 01:08
>36 そう言わずに、書いてくれないか。別に心あたたまる話じゃな
くってもいいんだ。くだらない話や恥ずかしい話を、良かったら書いて
欲しいんだ。おれもこんな風に気持ちのいいスレッドになるとは予想も
しなかった。思いつきで1を書いた自分がなんか恥ずかしいな。
いろんな話を聞かせていただいたみんなには本当に感謝してます。
おれは今、書くことが思い付かないから、引用だ。ごめん。

(略)こころさむい時代だからなあ。
 自分の手で、自分の / 一日をふろふきにして
 熱く香ばしくして食べたいんだ。
 熱い器でゆず味噌で / ふうふういって。
        「ふろふきの食べかた」 長田弘

38 名前:名無しさん投稿日:2000/03/09(木) 01:27
わたしもばあちゃんちで食べた「もち」が思い出です。
(心あたたまる話じゃないんですけど)

じいちゃんとばあちゃんが両方無くなってから、もちつきを
しなくなったので、もう食べてないんです。
じいちゃんが亡くなる数日前、正月についたもちを解凍して
一緒にたべてたんだけど、何故かじいちゃんはその時に限って
「なにもつけずに」食べたんですよね。なんでだろう?って思った。

でも、それだけ美味いんですよ!!ついた餅は。都会の人は
知らない人もいるのかなぁ。
だから餅は大好きだったけど、「サトウのキリ餅」なんて餅じゃねえ、
って感じです。あーばあちゃんの餅もう一度食べたいなぁ。


39 名前:母ひとり子ひとり投稿日:2000/03/09(木) 02:02
私15歳・母40歳の我が家に、母の彼氏
(28歳の錦織一清似の中国人)が同居するコトに。

母は仕事でいないクリスマス。友人と3人、
我が家でパーティをしていると、彼が笑顔で
ごはんをお椀に、みそ汁をマグカップに、煮物を茶わんに
入れ、私の部屋に持ってきたのです。
当時、多感な年頃だった私は、友人に彼を見られたコト、
ちぐはぐに盛りつけられた料理、どちらにも動揺し、
「来ないでっ!!!」と猛烈に怒りモード。

その時の彼の健気な笑顔。余計に腹立たしくて。
でも、彼のせいじゃないのは自分でも分かってて。
今は国に帰っているらしいけど、悪かったなぁ…とか、
幸せに暮らしているとイイなぁ…とか思っていますです。

40 名前:>1投稿日:2000/03/09(木) 02:20
最初の話が良かったから、良い話が続いてるんだと思うよ。
「おれはただズルズルとスパゲッティ食ってたよ」っていうのが
なんか切なくて好きだな。


41 名前:クロレッツ投稿日:2000/03/09(木) 02:59
初キッスの味。
大好きな人との初めてのドライブ。
緊張しすぎて、噛んで噛んで噛みまくった挙げ句、
私のガムは口内でオガクズ状態に。
ガムは噛みすぎるとボソボソになる……。
そんなコトとキスの味を同時に初めて知った。


42 名前:明るい田中麗奈投稿日:2000/03/09(木) 18:39
小学生の頃、仮面ライダーカードを集めていた。カードはスナックのおまけで1袋に1枚ついていて、それが欲しくてスナックを買っていた。カードを揃えるためには、ダブっているカードを他人と交換(私の土地では「ばくる」といった)しなければならないので、違う学校にまでカード仲間がいたものだ。

隣町の学校に熱心な友だちがひとりいた。そいつと二人で町中の自販機巡りをして、返却口や機械の裏や下に手を伸ばして落ちている小銭を集めて回った。1ヶ月ほどするとまとまった金になったのでそいつがスーパーに行って1箱まるごと買ってきた。50個程のスナックは壮観だった。カードを山分けしたあと、スナックを私の家の押し入れに隠し、次の日曜に基地(空き地につくっていた)でまとめて食う計画を立てた。

ところがスナックは学校に行っている間に母親にみつかって知らないうちにどこかの施設に寄付したかなにかでとにかく処分されてしまった。母は私たちがスナックにはまったく興味がないと思ったらしい。当時カード目当ての子供がスナックを食べずに捨てているという記事を書いた新聞があったのだ。そのスナックを楽しみにしていた友だちは随分怒ったものだ。私もひとつも食べることなく消えてしまった大量のスナックの味というか食感を想像したことがいまもわすれられないでいる。

子供の頃は、ひとつの袋に入ったお菓子(たとえばレギュラーなサイズのポテトチップス)をいつか自分ひとりで全部食べられるようになるなんて思っていなかった。そのときのことをいつか文句を言ってやろうと思っているうちに大人になり、母は還暦を迎えようとしている。

43 名前:ちっともいい話じゃなくて投稿日:2000/03/09(木) 19:36
しかも贅沢入ってる話なんですが。
高校の頃、口うるさくて苦手な女の先生がいました(担任だったんだけど)。
無視とかはしなかったですが、まあ愛言われたことには想笑いで答える毎日。
そんなこんなするうちに修学旅行に行くことになったんですが、行った先の
車中で食べた弁当がすごく美味しい。聞けば本当は普通の(安い)お弁当を
頼むはずが、くだんの先生が断固この弁当(予算よりちょっと高いご当地の
名物弁当だった)にしろ、と譲らなかったんだとか。彼女曰く
「せっかく遠くまで行くんだもん、美味いもの食べたいじゃないの。
せっかく一緒に来たんだから、あんたたちにも味あわせたいじゃないの」。
すっごい贅沢な話なんだろうけど、なんだかこの先生も同じ人間なんだな、
と思えて、そして生徒にも美味い物食わせたいと思って(無論自分も食べ
たかったとは思うが)がんばってくれた先生のことを、ちょっとだけ認め
ちゃったエピソードでした。
・・・でもやっぱ卒業まで口うるさいのは直んなかったけど。



44 名前:玉葱投稿日:2000/03/10(金) 00:53
大学にはいり、なかのいい連中ができてそれなりに楽しく過してたころ
まあ、サークルで三角関係なようになり、変動がなくなってきた時期
3人で飯をつくろうっていうことになり、友達のアパートにいき
ある材料で野菜炒めと、味噌汁、餃子をつくってたべた
野菜炒めをつくるのを失敗して、しょっぱすぎる味になったが
うわ、しっぱいしたーとかいい笑いながら食べていた
そのあと2かぶりにの飯だったのと、レポートの徹夜あけだったせいで
うとうとしていたら、ロフトから声が聞こえてきた
あんのじょうやっていやがる、目を覚ますわけにもいかず
眠ったふりをしていたが。歯にはさまった玉葱のせいでさらに最悪な気分
になった、もちろんサークルにはいかなくなった
卒業になったがあの女はサークルの男を全部食ったらしい
女を見る目がなかった..


45 名前:暗い田中麗奈投稿日:2000/03/10(金) 01:01
>明るい田中麗奈

あんた幾つやねん!
ぜんぜん田中麗奈とちゃうやんけ!

俺も似たような経験ある。。。
同世代やね。

46 名前:おばあちゃんの味で投稿日:2000/03/10(金) 04:46
思い出すのがポテトサラダ。なぜか味付けが妙に酸っぱくて・・
子供の頃の私はこれが苦手で、その印象かポテトサラダは酸っぱいものと
信じてました(笑)。そんなおばあちゃんとも理由あって離れることになり
この酸っぱいポテトサラダも食べる機会はなくなりました。
先日しばらくぶりに、おばあちゃん家に遊びに行ったときのこと
帰り際 このポテトサラダをお土産に持たせてくれたのです。ありがとうと
云いながらも私は困惑していました。だっておいしくないんだもん。。
ところが 懐かしさに負けて一口食べてみたら…意外にもおいしい!!
ほとんど一気に食べてしまった。味は相変わらず酸っぱいのだけれども
初めておいしいと感じました。ほかでは食べられないおばあちゃんの味。。
大人になってから食べるとこんなに印象が変わるなんて、、
ごめんね、子供だった私はこのおいしさに気づかなかったよ。
今度レシピ教えてね、おばあちゃん。


47 名前:王様のレストラン投稿日:2000/03/10(金) 04:46
美味かった不味かったばかりで
何のエピソードも浮かばない・・
これぞホントに貧粗な食生活
みなさんがうらやましい



48 名前:オタク投稿日:2000/03/10(金) 06:28
餅をうすーく切って、ある程度の期間干して、油で揚げたお菓子。
本来の餅の倍ぐらいの面積にまで膨らむ。味付けは何もなかったように思う。
でもうまかった。
うちのばーちゃんが時々造ってた。
もう一つばーちゃんの料理で印象の深いのはしそ巻き。
しその葉にみそを砂糖やら何やらで味付けしたのを巻いて3本くらいづつ楊枝にさしてあげる。
よく造ってくれてたけどここ何年かはあまり食べてなかった。
どっちも二度と食えない。
何でもう少し食べておかなかったんだろう。あんなに皿に山盛り造ってくれてたのになあ・・・。

49 名前:悲しい思い出投稿日:2000/03/10(金) 08:55
小さい頃、小学校1年か2年の頃かな。家は両親上手くいってなくて
母親は何度目かの家出中だった。父親もろくに帰ってこない。しょうがなくて
おばあちゃんがたまに面倒見に来てくれてた。そんな或日、夕方7時過ぎた夕飯の時間も
誰もいなくて、私と妹はお腹が空いてたまらなかった。冷蔵庫には何も入ってない。
お金も無い。妹が可哀相だし私も我慢できなくなって、たいして付き合いも無いのに
近所で一番お金持ちの人の所に行って、事情を話した。多分、子供心にお金持ちなら
食べ物が余っているだろうと考えたんだと思う。そしたら英字型の乾パンくれた。
ぱらぱら塩がまぶしてあるやつ。なんだか自分のした事が恥ずかしかった。
その乾パンは明日の事も考えて大事に食べた。20年以上前だけど今でも覚えている。

食べ物にまつわる話なら、ここの誰もがエッセイストになれるね。

50 名前:明るい田中麗奈投稿日:2000/03/10(金) 10:12
泣ける。

51 名前:名無しさん投稿日:2000/03/10(金) 10:35
勤務中だっていうのに涙が・・・
「花粉症だ」ってゴマかしました。

52 名前:独歩さん投稿日:2000/03/10(金) 10:41
しくしく。

53 名前:名無しさん投稿日:2000/03/10(金) 11:55
うううう、、、。(;_;)
49さんは妹さん思いの優しいお姉さんですね。
なんか情景が浮かび上がってきて、ちょっとうるうるしちゃいました。

54 名前:名無しさん投稿日:2000/03/10(金) 12:23
韓国にいった時、明洞にある(日本でいうとさしずめ
原宿のような感じなのかなあ?)
明洞ギョーザという名前のお店。
メニューは一律450円(当時のレートで)で安い。
もちろん美味い・量も多い・ご飯キムチは
お代わりし放題!(キムチもめっちゃ美味い、
日本のスーパーで売ってる奴は殆ど試したが
あれに勝るものはないって感じ)
日本に支店できないかなあ〜。

55 名前:名無しさん投稿日:2000/03/10(金) 16:27
私の故郷は沖縄の離島です。
島には10月頃になると、“サシバ”と呼ばれる 保護動物に指定されている
タカ科の渡り鳥が台湾の方から 何千と渡ってきます。
昔の貧しかった時代はこの鳥を林に入り捕ってきては食べていたらしく、味が忘れられないと
未だに捕る人達がいて島ではこの時期になると保護活動が盛んになります。

小6のある日、私は叔父の家に呼ばれ夕飯をご馳走になりました。
夕飯のメニューは鍋焼きうどんでその中に入ってたお肉がすっごく美味しくて
2回もおかわりして食べました。食べ終わって叔父さんに「あれ、なんのお肉?すごくおいしーね」
と言うと叔父さんはニコニコしながら「物置をみればわかるよ」と一言。
意味が分からず物置を開けてみた。そこには“サシバ”が2匹 目をパチパチさせて私を見ていた。

私はその時 学校でサシバ保護のボランティア活動の真っ最中。
なのに「おいしい おいしい」と食べてしまった。おかわりもした。
そんな自分にすごい罪悪感を感じて泣きました。
叔父さんちの物置をみるとあのうどんを思い出す。


56 名前:名無しさん投稿日:2000/03/10(金) 16:51
卒業旅行で2月に遠野に旅したとき。農家のおばあさんに遠野の昔話を聞かせてもらった。
わずかだけどお礼を包んだ。目上の人に現金を差し上げるなんて初めてで、失礼な気がしてたまらなかった
けど、宿の人の薦めでそうした。おばあさんは、それを何度も額に当てるようにしてお礼をいってくれた。
帰りがけ、おばあさんが軒下につるしてあった白くて四角い何かをどっさりくれた。
乾いたのし餅みたいな形で、「食べ物かな?」とかじってみたらほのかに甘くてかみしめるたび香ばしい。
パイみたいにぽろぽろと層になってはがれてくるのを夢中で食べた。

・・・この食べ物に心当たりのあるかたいませんか。
東北出身の人に会うたび尋ねてるけどいまだわからないのです。
生で食べていいものかどうかも不明なんだけど・・(^_^;)

57 名前:>56投稿日:2000/03/10(金) 17:37
その食べ物、気になりますね。
干し餅かなあ。
油で揚げたものしか食べたことがないから、生だと
どういう感じかわからないけど。

58 名前:>56投稿日:2000/03/10(金) 17:59
たぶん、「あけがらす」だと思います。
中に胡桃はいってませんでした?

それにしても、涙腺きまくり

59 名前:名無しさん投稿日:2000/03/10(金) 18:06
ウチのおばあちゃんは、初任給もらったとき
長年の夢を実現すべく、市場へ走ったそうです
そして、あのウニが細い木のケース見たいのに入ったやつを買ってきて
あつあつのご飯を前に、1列全部箸ですくって
もりもり食べたそうです。
ばあちゃんはウニが好きで好きで、いつかそれをやるのが夢だったそうです

60 名前:明るい田中麗奈投稿日:2000/03/10(金) 18:46
生前の祖母に聞かされた私の父の子供の頃の話。

そのころは食べるものがあまりなかったので、食欲旺盛な父は山で木になっているものを採ったり、野良犬を捕まえて皮を剥いで食べたりしていたそうです。

そんなある日、父の友だちが旅行のために飼っていた小鳥を預けに家にやってきたそうです。その子も父の性癖を充分知っていたのですが、他に頼めるところはなかったようで、父に「とみお〜、鳥食べるんでねえぞ〜」と繰り返し念をおして帰ったそうです。祖母もその日から毎日父に「とみお〜、鳥食べるんでねえぞ」と父の友だちと同じことを繰り返し言ったのでしたが、やはり父は食欲に勝てず、友だちが帰ってくる前の日、祖母の目を盗んで小鳥を焼いて食べてしまったそうです。次の日、やってきた友だちに父に代わってしどろもどろ謝ったのは祖母でした。

その話を「とみお〜、食べるんでねえぞ〜」のセリフをげらげら笑いながら再現して話してくれた祖母が亡くなってそろそろ十年がたちます。父は元気です。

61 名前:名無しさん投稿日:2000/03/10(金) 21:58
東京のお嬢さん育ちの母は、田舎にある父の実家が嫌いだったようだ。
私が子供の頃、母と一緒に父の実家に遊びに行った時、
祖父が「帰りの電車の中で食べろ」と言って、わら半紙の紙袋からはみだしそうなぐらい、
たくさんお菓子をくれた。
どぎつい色のついたゼリーや、見たことがないような袋菓子がたくさん入っていた。
電車の中で、私が「おじいちゃんのお菓子食べようよ」とせがんでも、母は無言だった。
東京に着き、駅のホームで母は紙袋の中のものを見ながら、
「何よこんなもの」と言い、袋ごとゴミ箱に投げ捨てた。
それを見て、私は泣いた。母は「もっとおいしいお菓子買ってあげるから」と言った。
私は、お菓子が食べられなくて泣いていたのではない。
孫のために、一生懸命お菓子を選んでくれた祖父のことを思い出して
悲しくてたまらなかったのだ。
お菓子を手渡してくれた時の、うれしそうな祖父の顔。
あの祖父の顔を思い出すと、今でも泣けてきます。
いい話でも食事の話でもなくてごめんなさい。


62 名前:明るい田中麗奈投稿日:2000/03/10(金) 22:05
>名無しさん 私にもよく似た体験があります。食べ物が出てこないので書けませんが。

63 名前:>60投稿日:2000/03/10(金) 22:08
いい話というか何というか…(^-^;

64 名前:>明るい田中麗奈投稿日:2000/03/10(金) 22:22
いい話と言うかなんと言うか、父が元気で何より。
生き物から命を貰って人間は生きているのです。動物でも、植物でも。

65 名前:明るい田中麗奈投稿日:2000/03/10(金) 22:39
父(ご紹介が遅れましたが、富夫です)によれば犬は赤犬(?)が旨いそうです。茹でる前に皮を剥くのですが、途中で逃げたことがあって、ぼったら(追いかけたらという意味)縁の下に潜り込んで真っ暗なところから皮を剥がれた犬の眼が光っていたこともあったという話を3回くらい聞きました。

66 名前:>65投稿日:2000/03/10(金) 23:19
赤U^ェ^Uo が美味いというには俗説で根拠が無い!と横でじいちゃんが
今怒っています。戦時中十数匹は食べて、自信があるそうです。
やっぱり、肥えて毛並みがよいのがいいと言っています.
毛色は関係無いそうです。そんなことではU^ェ^Uo に申し訳がたたん、
とまた怒り出しました。 (T_T) 画面切り替えます。失礼。


67 名前:名無しさん投稿日:2000/03/11(土) 01:06
いいスレッドだねぇ(ToT)

68 名前:僕が生まれたときの話投稿日:2000/03/11(土) 02:07
母は出産のために入院していた。亭主関白の父はそれまで料理をしたことは一度も
なかったのだが、祖母が既に他界していたために子供(わたしの兄姉)のために食事
を作らなければならない。

そして父は一生懸命慣れない手つきで子供のために卵焼きを作った。
出来あがった卵焼きの味は、とても食べられないほどに辛かったが、
兄姉は我慢して食べたとか。今でもたまに家族が揃って食事をする
とこの話題がよくのぼります。

そんな父親も退職し、最近では料理をするようになりました。


69 名前:名無しさん投稿日:2000/03/11(土) 04:50
祖母の家では毎年お正月には餅屋に頼んだ餅でお雑煮をつくります。
いつもお正月には祖母の家に行ってそのお雑煮を食べていたんだけど
ある年「たまには家でお正月を過ごしたい」ってわがまま言って行かなかった年がありました。
家では母が祖母と同じようにお雑煮をつくってくれたんだけど
どこか味が違うような気がするんですね。
三が日が過ぎてから祖母の家に遊びに行ってこの事を話したら
私のために餅を残して置いたよ、と言ってお雑煮をつくってくれました。
「やっぱりおばあちゃんが作ったお雑煮が一番美味しい」と言ったときの祖母の笑顔が忘れられません。

あと何回一緒にお正月を過ごせるかわかりませんが、それ以来お正月は絶対に祖母の家に行くようにしています。
なるべく長い間、あのお雑煮を食べたいなあと思います。

70 名前:高卒後投稿日:2000/03/11(土) 06:15
一人暮らしを始めたんだけど、親がよく米とか野菜送ってくるじゃん。
そういう荷物の中に、たらの芽が入ってたんだよ。
その日、母からの電話で「送ったたらの芽、天ぷらにすると良いよ」
なんて言われてさ。でもマンションの電化コンロじゃ天ぷらなんて出来ないから
「もうちょっと考えて送ってくれよー」なんて答えちゃって。

その2日後、用事があって実家に帰ったとき、母が手に絆創膏貼ってるのね。
最初見たときは「またなんかヘマしたんだろ」なんて思ってたんだけど、
妹から話を聞いたら、たらの芽を取りに行ったときに怪我したって。
知ってる人もいると思うけど、あれってトゲがあって採るときに刺さったりするんだよね。
それ聞いて、俺のためにわざわざ採ってくれたのかー、ってすごい罪悪感覚えた。

マンションに帰って、段ボールの中で痛みかけてたたらの芽を出して、
浅いフライパンで無理矢理に天ぷら作って食べた。
衣が生っぽかったのを今でも覚えてる。

71 名前:ごめんなさい投稿日:2000/03/11(土) 06:18
小学生か中学生の頃、母親と大喧嘩して
母親がそのまま家出してしまったことがあって
その翌日は、タイミングの悪いことにお弁当が必要で。
泣きながらどうしようと困っていたら
いつもは口も聞かない兄が早起きしてお弁当を作ってくれた。

甘い味の卵焼きを焼いてもらったら、焦げてて、見た目も悪くて
それがすっごくイヤで、また大泣きして。
いつもなら殴って怒鳴って終わり…な兄がもう一度丁寧に焼き直してくれた。

味なんて、もう忘れたし他のおかずが何だったのか忘れたけど
その失敗した卵焼きの苦さが忘れられないな……と。



72 名前:>61!投稿日:2000/03/11(土) 06:23
私にも同じ体験があります。
やはり母が、私への好意を踏みにじって・・。
母は、私にご飯を作ってくれたこともない。実の母なのに。
生まれて初めてまともに作ったご飯を、箸もつけず目の前で流しに
捨てられました。
だから今でも、私には楽しく食事することができません。
スレとずれていてごめんなさい。

73 名前:名無しさん投稿日:2000/03/11(土) 06:26
他板で紹介されていたので読んでみたが……泣けるじゃねーか。(T_T)

74 名前:名無しさん投稿日:2000/03/11(土) 08:43
前に付き合っていた彼氏の家で彼の好きなサンマを焼いた。
私は他の料理も作っていたので彼が先にサンマを食べ出した。
「おいしい、おいしい」と彼は言っていたけど、
私が口をつけたとき、そのサンマは生焼けだった事に気づいた。
彼に対する申し訳なさ、恥かしさから私は逆ギレし、
「なによ、まずかったら正直に言ってよーーー」と皿に乗っていた
サンマをそのまま生ゴミ入れにぶち込んでしまった。
振り返ったときに見た彼の悲しそうな顔が頭に焼き付いて、
あの時以来、サンマを焼く事が出来ないでいる。
本当にあの時はごめんなさい。

75 名前:名無しさん投稿日:2000/03/11(土) 10:00
3人組の仲良しがいた。
そのうちの一人はバターケーキが大嫌いだった。
ある日1人がケーキを買ってきたから食べようという。
箱をあけたらショートケーキが2つとバターケーキが1つ。
ケーキを買ってきた子はバターケーキが嫌いな子のことが
嫌いだった。
もちろん分かって買ってきたのだ。
バターケーキが嫌いな子はそれからショートケーキも嫌いになった。

76 名前:私の子供の頃はアイスが高級品だった。投稿日:2000/03/11(土) 10:38
くだらない話なんですがひとつ・・・。

家は3人兄弟で、小さい頃はいつもお腹空かせてた記憶がある。
小さい頃のご馳走は母がたまーに買ってくれる
レディーボーデンのバニラアイス。大きなカップのアイスで
大好物だった。めったに食べられないものだった。

ある日母が、「これから夕飯なんだからアイス食べたら駄目だよ。
御飯が食べられなくなるんだから。もし食べたら捨てちゃうからね。」
と私達兄弟に言い聞かせて夕飯の買い物に出掛けた。
当然私達は我慢できなくて。「一人一口だけだったら大丈夫だよね。
捨てちゃうなんて脅しだよね。」
って、小さいスプーンでアイスをすくって一口だけ食べた。
買い物から帰ってきた母は冷凍庫のアイスの蓋をあけて
ねずみが齧ったような跡を見つけて激怒。
「あれだけ食べるなっていったでしょ!」
私達兄弟が涙目になっている横でアイスを流しに捨てた。
「ごめんなさい!ごめんなさい!」
と泣き叫ぶ私達の前でレディーボーデンはみるみる溶けていった。

・・・こんな事なら一口とは言わずもっと食べておけば良かった・・・。
なつかしく恥ずかしい思い出です。



77 名前:名無しさん投稿日:2000/03/11(土) 13:58
あげます

78 名前:名無しさん投稿日:2000/03/11(土) 14:21
あたしの家は共働きで家に帰ったらいつも一人でした。
毎日、お菓子は台所に袋菓子を分けたものが姉の分と二つお皿に
置いてありました。今考えるとそれだけでも十分うれしかったはずなのに、
よその家では母親がケーキなど焼いてくれてるって思っていた私は、
作ってってわがままを言ってました。
休みの日、不器用でお菓子なんて作ってくれなかった母親が
クレープを作ってくれました。
焼いたクレープ生地にチョコレートシロップをみたいなものを
塗っただけのものでした。おいしいものではなかったけど、
それが初めて食べたクレープでした。クレープを見たら思い出します。
母親は今も元気で働いてます。帰ってきたら覚えてるか聞いてみようかな。


79 名前:名無しさん投稿日:2000/03/11(土) 14:22
小学校2年生の時の思い出です。

担任の先生は50だか60だかのおばちゃんで、
その年が教員生活最後の担任だった。
俺らの学校は1年生から2年生になるときはクラス替えがなかったから、
先生と俺らは2年目だった。
一番最後のお楽しみ会で、歌唄ったり、誰かの下手な手品見たりした後、
先生が「最後にみんなで食べよう!」と、なにかをみんなに配った。
「ミロ」(ココアみたいなお湯とか牛乳とかに溶かして飲む粉)だった。
当時「ミロ」が出だしたころで、テレビとかでコマーシャルガンガン
やってたから、先生も選んだんだと思う。
誰かが「先生、これ、このままじゃ食べれへんで」と言った。
先生は「そうなん」と言った。なにか他にも言ったかもしれないが
覚えてない。
結局、みんな「ミロ」をそのまま手ですくって食べた。
なんでか分からないがそういう雰囲気だった。

なんか間抜けな話なんだけど、今でもよく思い出します。

80 名前:>76投稿日:2000/03/11(土) 18:20
もうーこどもってやつは、正直っていうんだか
純情っていうんだか(^_^)必死さ加減が好きだな〜。
(大きくなっちゃうとアイスは自分で買えばいいんだもんね)

81 名前:名無しさん投稿日:2000/03/11(土) 19:23
昔よくミロとかクリープとか粉のままスプーンで食ってたなぁ。うまかった。
思い出に残ってる一番じゃないけど。学級みんなでやるのはヘンかも(^_^;)

82 名前:>81投稿日:2000/03/11(土) 21:02
79のは変とは言わんだろ。

83 名前:とうちゃん、ごめん!投稿日:2000/03/11(土) 22:30
小学生の頃、家の両親は共働きで凄く忙しそうにしていた。
いつも遠足とかに行く時,お弁当を持って行くんだけど、母は
仕事の関係なんかで,お弁当を作れない時がありました。
その時は,父がお弁当を作ってくれていたんですが、私は嫌な
子供で、どうしても父の作った,おにぎりが食べられないで、
いつも帰りに捨てていました。今だに、おにぎりは食べられない
けど、なんかここを,読んでたら思い出してしまいました。
なんか,悪いような、なんで親の作ったものが,食べられないのか
悲しいような,複雑な気持ちになりました。。。

84 名前:すいか投稿日:2000/03/12(日) 00:51
子供の頃からスイカが大好きで、ことあるごとにスイカへの愛を
語っていたら、高校3年の誕生日に仲のよかった子たちがお金を
出し合ってスイカをプレゼントしてくれました。
私の誕生日は2月で、そんな時期にスイカを食べられるなんて
嬉しくて、ホントに嬉しくて、冷蔵庫に大事にしまって毎日毎日
取り出してはながめて、幸せでした。
結局もったいなさ過ぎて食べるきっかけを失い、3月半ばのある日
異臭を放っているのを母に見付かり捨てられてしまいました。
あの時はとても悲しかった。
もらってすぐに食べればよかったと後悔しながら、腐って溶けた
みたいになったスイカの残骸をちょっとだけ食べました。
とってもまずくて吐きそうだったけど、友人にもスイカにも申し訳
なくてグッと堪えて呑み込みました。2度とスイカを腐らせて捨てたり
しない!とその時決めました。

今でもちょっと傷みかけのスイカに出会うとこの2月のスイカを
思い出します。
真夏の野菜室は結構腐りやすいのです。
でもちょっとくらいの腐りだったら食べちゃいます。
まだお腹をこわしたことはありません。
いい話のあとにこんな腐りネタでごめんなさい。

85 名前:カルボナーラ投稿日:2000/03/12(日) 02:00
遠い昔の中学生時代、つきあって間もない彼女とスパゲティを食べに行った。
しかし当時、うちのおかんのレパートリーといえば、ナポリタンとミートソースのみ、
彼女の前で気取りたい年頃だった俺は、そんなベタなものは頼めないと見栄を張り、
当時なんとなく聞いたことがあったような気がしたカルボナーラを注文した。
しかし俺の取り越し苦労をよそに、彼女の注文したのはミートソースであった。

それでも見栄っ張りな俺は「俺、スパゲティではカルボラーナが1番好きかなあ」と無駄口、
すると無垢な彼女は「私カルボナーラって食べたことない、何が入ってるの?」と尋ねてきた。
俺は「ヤバイ」と焦ったが、幸い彼女の後ろ、別の客のテーブルにウエイトレスが、
「カルボナーラと○○○○お待たせしました」と運んで来たのが見えた。
2つの皿のうち1つはトマトソースに貝やエビなどの魚介類が見て取れた、
今思えばペスカトーレだろう、もう1つの皿は白っぽいクリームソース状で、
その時確認できた具材はベーコンだけだった。

それを見た俺は、メニューの中に「ベーコンと何とかのスパゲティ」なる品名があったのを思い出し、
とっさに(あの白いのは「ベーコンと何とかのスパゲティ」だ、ということは
あっちの魚介類のトマトソースのスパゲティこそが、カルボナーラに違いない)と判断し、
「ナポリタンみたいなケチャップ味で、貝とかエビとかが入ってるやつだよ」と得意げに説明した。
さらに、「エビが丸ごと入ってるから好きなんだ」等と要らぬ付け足しを繰り返していた。

やがて運ばれてきたカルボナーラに「ここのカルボラーナはうちで作るのと違うなあ」などと
哀しい言い訳を繰り返すばかりの俺に、気まずさを察知して無口な彼女。
しかも何度も繰り返す「カルボ“ラーナ"」という言い間違いに気付くのは、その後何年も経ってからだった。

カルボナーラをセブンイレブンで買って食べると思い出す、でも店では未だに注文できない。

86 名前:名無しさん投稿日:2000/03/12(日) 02:08
文章長いけど、お前等いい奴ばかりだな。


87 名前:卵かけご飯投稿日:2000/03/12(日) 04:40
高校の時、大学生だった先輩が田舎に帰るので、アパートの部屋を借りて
彼女と泊まり込み、猿のように覚えたてのセックスをしまくった。
途中お腹が減ったので何か食べようということになったが
服を着るのももどかしく、部屋にあるもので済ますことにした。
彼女は何の料理もできなくて、仕方ないのでご飯に生卵をかけて食った、
卵かけご飯を食ってはH、また腹が減っては卵かけご飯、そしてH・・・
若いということはああいうことなんだと思う。

品位ガタ落ちで失礼。

88 名前:>87投稿日:2000/03/12(日) 04:57
あー、君にはペナルティだ。
10日以内にメッコール5本を飲んで
経過のレポートを提出する様に。

89 名前:バッカーです投稿日:2000/03/12(日) 05:01
いや、タマゴってところがいいじゃないか

90 名前:いいじゃん投稿日:2000/03/12(日) 06:14
元々「状況とともに思い出す食事」スレッドだったんだし(笑)
いつの間にか(最初からか?)泣かせる話ばかりになって、
他の話する人がなんとなく書き辛そうだし。
もちろん俺も泣かせる話にハマッてる1人なんだけど。
このスレッド、名作だね....

91 名前:名無しさん投稿日:2000/03/12(日) 07:58
ん、じゃ軽く一本行きまーす!

中学の時。土曜の放課後、隣のクラスの男の子が、教室でお弁当を
食べるのを、何故か真ん前で見ていたことがあります。
私はそのクラスの女の子と一緒に帰ろうと思って待ってたし、
顔は知ってるけど話したこともない男の子は、今から部活だったと思う。

で、黙って見ている私の前で、しゃかしゃかと弁当を食べ終えた彼は、
最後にその銀の弁当箱にこびりついてたごはんの一粒一粒をお箸で
ひょいひょい取って口に運び、きれいにおべんと箱をカラにして
フタを「ぱたん」としめました。

すっごいカッコ良かったんですよ〜、それが。
気持ちいいっつーか。食べっぷりも良かった。
別にそれでその子に惚れたりはしなかったんですが、
それ以後「ごはんをおいしくきちんと食べれる人」「お箸を
正しく扱える人」という、好きな人の条件が増えました。

92 名前:名無しさん投稿日:2000/03/12(日) 17:52
やっぱり初給食かなあ。
給食食べる前に「三角食い」ってのを教えられた。
パン→おかず→牛乳を繰り返す小学校給食特有の様式美なんだけど
(現在もあるのだろうか?)
俺はすっかり「パンを全部食べて、おかずを全部食べてから牛乳を全部飲む」
ことだと勘違いしてしまった。
ちょうどその時のパンは食パン2枚。
6歳の子供にはあまりにもハードルが高すぎた。
しかしその日のおかずはカレーシチュー。大好物だ。
何とかその桃源郷に辿り着こうと、必死に食パンを口に詰め込んだ。
牛乳という助けは借りられない(と思いこんでいた)、
頼みのマーガリンも1枚目で尽きた。昼休みも残り10分。
後半分で地獄の食パンを食い終える・・・という直前で
痺れを切らした担任が「あなた、カレー嫌いなのね? 嫌いなら食べなくてもいいのよ」
と、俺の目の前でカレーシチューをあのでっかいアルミの鍋にジャーと戻した。
俺はその午後泣き通しだった。

93 名前:名無しさん投稿日:2000/03/13(月) 03:15
同棲してた女が最後に作ってくれた食事、オムライス。
あれ食うとやっぱり、出て行ったあの女を思い出すな、昔の事だけど。

94 名前:名無しさん投稿日:2000/03/13(月) 03:29
給食でのこしたら、びんたされた、学校に不信感

95 名前:名無しさん投稿日:2000/03/13(月) 04:26
最近一人暮らしを初めて自炊しています。
何食べてもお母さんを思い出します、ホームシック状態(;_;)

96 名前:アステカ中毒投稿日:2000/03/13(月) 06:39
学校の給食は偉大だった・・。豚肉のしょうが煮が食べたい・・

97 名前:名無しさん投稿日:2000/03/13(月) 07:07
おばあちゃんの話を見て思い出しました。
私には兄がいて、兄はおばあちゃんがつくるクリームシチューが大好きでした。
ホワイトソースも自分で作る本格的なもの。
実は私はそのおばあちゃんが苦手で、初孫だからといつも兄ばかりひいきして…
と、すこしひねくれていたんです。実際、私がきらいなものも食卓に
だしたりして、大泣きしたこともあったくらいで…。
そのおばあちゃんがなくなった時、涙もでませんでした。
嫌いというより苦手だったので、近寄りにくかったせいもあるんですが。

先日、自分でホワイトソースを作ってシチューを作ってみたのですが
なかなかおばあちゃんが作ってくれたような味にはならない。
結局、あまりまんぞくしないままそれを食べたのですが、こんなことなら
作り方を聞いておけば良かったと思いました。

今思えば、好き嫌いが激しかった私の為に、いろいろ作ってくれた
おばあちゃんの事を思い出し、当時の自分の行動を恥じました。
このスレッドを見て、おばあちゃんがなくなってから初めて泣きました。
今度、墓参りに行こうと思いました。
ここはいいスレッドですね。ありがとう。



98 名前:名無しさん投稿日:2000/03/13(月) 07:55
給食だけどさ
じゃがいもをオレンジジュースで煮たという
奇怪な代物がでて、それが極めてまずかった。
一体誰があんなまずいものをこの世に送り出せたのかと
長年思ってたが、こないだ知人が作った「芋のオレンジ煮」
なるものを食べたら、めちゃ美味かった
給食のやつとは全然違う。
なんでこんなに差が出たのかしらね〜と思ったよ

99 名前:若き日の過ち投稿日:2000/03/13(月) 08:52
二年前の誕生日、主人に嘘をついて恋人ととある山荘にいました。
浮気のつもりが本気になり、彼と一緒に死ぬつもりだったのです。
奇しくも、恋人が私の誕生日のために料理を作りはじめた時、
山荘の扉が開いて主人が現れました。言ったのはただ一言。
「帰ろう。」それだけ。私を詰るでもなく、私の恋人を殴るでも
なく。それから三時間、車に揺られて自宅まで戻りました。
無言の車内でしたが、どんなにショックをうけていても、空腹
にはなるものですね。ぐーぐー私のお腹が鳴っているのが聞こえた
のか主人は寂れた町に立ち寄り、ファーストフードのドライブ
スルーでハンバーガーとポテトフライを買ってくれました。
「食べなさい」とまたまた一言だけ。普段はファーストフード
なんて大嫌いな彼なのに。私はハンバーガーをかじりながら、
何がおかしくて自分の誕生日に、車の中でファーストフードの
ハンバーガーを食べなきゃいけないんだと考え、泣けて泣けて
仕方ありませんでした。
主人に謝ることが出来たのは、ハンバーガーを食べ終わって
やっと一息ついた頃。一緒に死のうとまで心に決めていた彼
とはそれ以来会うこともありませんでした。彼が作ってくれて
いたドイツ料理も、覚えているのは匂いだけです。
結局私は主人のもとに残り、十年経った今は何とか普通に
暮らしていますが、今でもあのハンバーガー・ショップ(チェーン
店)の看板を見かけると申し訳ない様な、切ない様な思いが胸一杯
に広がり、鼻の奥がつーんとして視界がぼやけてきてしまいます。

100 名前:>99投稿日:2000/03/13(月) 11:33
真面目に読んでたのに最後の4行でハラかかえて笑っちゃったよ〜


101 名前:茶々投稿日:2000/03/13(月) 12:24
彼氏が中古だけど車を買ったので、ドライブで海に行こう!
という事になりました。
車の中で食べようと、浜辺でつぶ貝の醤油たれの串焼きを買って
隣で彼氏が運転して、私は串焼きを食べていました。
串焼きはおいしくて夢中で食べてたら、片手でもっていたスチロール
のトレイが傾いて、座っているシートにもちょっとタレがこぼれて
しまいました。
しまった!と思いあわててウェットティッシュでふいても
染みは取れません。車内に甘辛いたれの匂いが広まっていって、
彼に申し訳なくて半泣き状態で謝ったら、突然彼は運転しながら
大笑いしはじめました。
「夢中で食べているから、いつかこぼすと思っていたんだよ」
「だったら、一言言ってくれれば良かったのに」
「車は中古なんだから別に気にしなくていいよ。
おいしそうに食べているから、邪魔したくなかったんだよ。」

うれしくて、申し訳なくて、心の中がじわーんと暖かくなったのを
覚えています。

102 名前:名無しさん投稿日:2000/03/13(月) 14:06
>茶々さん
ええ彼氏ですなぁ。大事にしてね。

103 名前:>99投稿日:2000/03/13(月) 14:19
創作よろめき料理モノですな。
イイ線まで行ってたのに時空が・・・・
2年前と10年前統一してほしかった。

よって6点!

104 名前:nora投稿日:2000/03/13(月) 15:15
オレの叔母の作るカレーライス。
ウチは喫茶店なんだけど共働きなので、子供の頃は叔母の家に預けられてた。
その叔母の作るカレーが大好きで、20歳を過ぎた今でも近くに用があるたびに叔母に電話をかけ
「叔母ちゃんのカレー食いたいから遊びに行くよ」って、甘えます。
すでに子供も独立して、叔父も亡くなっているので1人暮らし状態の叔母は
遊びに行くといつも喜んでカレーを作ってくれます。
正直、喫茶店のウチのカレーよりも美味いんだな、これが。

叔母ちゃん、長生きしていつまでもカレー作ってくれよ。
また遊びに行くね。


105 名前:まんぼう投稿日:2000/03/13(月) 15:35
>103さま
103様が指摘してくれるまで、99の何がおかしいのか全然わかりませんでした。そういやそうですね。ちょっとは感動したのにな。

砂糖が貴重だと思っていたばあちゃん。
ばあちゃんの作る「イチジクの甘露煮」はきれいなワイン色だけど、歯が浮くほどの甘さ。
でも、私や弟が遊びに行くといつも出してくれるので、そのとき
だけは「やせなきゃ」ということを忘れて食べていました。

ばあちゃんは同居していた嫁の愚痴もこぼしたことも、他の
誰かの悪口を言うこともない、楽しみといえば年に一回
町内の老人会で温泉に行くことくらいの、控えめな人でした。

ある時、ばあちゃんと一緒に住んでいるいとこ、いとこの友達、
私とで遊んでいるとき、いとこの友達が遊びのルールについて
けちを付けたので、「そんなに文句があるなら、もう帰れば」
と言ったら、ほんとに帰ってしまった。
事情を知ったばあちゃんは私に、
「おめ、なんでそんげこと言った・・・。」とだけいった。
ばあちゃんに怒られたのはそれが最初で最後だった。

8年前、ばあちゃんが死んだとき、香典の中で、
誰も(ばあちゃんの子供、孫たち)知らない名前のものが
いくつかあった。おばさんは、
「きっと、ばあちゃんが作った野菜をもらってくれた人だろ」
といっていた。

どこかの庭で、もがれていないイチジクの実をみると、
地味だけど、暖かかったばあちゃんの存在と重なって、
イチジクの甘露煮の甘さと歯のうずきと、友達を追い返した
後悔が一緒になって思い出されます。




106 名前:ロールケーキが100円だった時代投稿日:2000/03/13(月) 15:39
はじめてのお使いだと思う、母に朝のパンを買ってきて、と100円を渡された。
当時食パンが100円もしなかった時代だと思う。
100円を渡された俺は必死で100円の値札のついたパンを探した、
「お釣り」というシステムを知らなかったからだ。
やっとの事でジャスト100円の商品を見つけた、それはロールケーキだった。
それを買って帰ると、なんでケーキなんか買ってきたの、と思い切り叱られた。
お釣りとか引き算とか、まだ教えてもらってなかったのに...
トラウマ。

107 名前:名無しさん投稿日:2000/03/13(月) 15:59
せっかくいいスレッドなのに作り話しないでよー>99

108 名前:99です投稿日:2000/03/13(月) 16:05
・・・本当は10年も昔の話だったのですが、それじゃ年がばれる
と思い、2年と脚色したのに、やはり最後でぽろりと本音が・・・;。
せっかくいいツリーで、こちらも恥ずかしい話を(拙い文ながら)
書き込みしましたのに、意図しなかったこととは言え、テンション
落としちゃって申し訳ないと思っています。見栄をはった馬鹿(の上に
ばばあ)ではありますが、創作、ネタではありませんので、お許しいただきたいと
思います。m(_)m。

なんかでもこのツリーっていい人が多いみたいで嬉しいです
(他の掲示板だったら今頃叩かれまくりですよね)。いい年
して大泣きしながら読んでいますので、私の大ボケに構わず、これ
からもいいお話をどんどんよろしくお願いします。

109 名前:名無しさん投稿日:2000/03/13(月) 16:32
>107

創作でも楽しめればいいんじゃないの?


110 名前:遠野 投稿日:2000/03/13(月) 16:41
56>57,58 謎の食い物情報ありがとうございました。
アケガラス・・は市販されますか? もう少し詳しく知りたい。
胡桃ではなく節分の豆のようなのが混ぜてあったのもありました。
乾かした草で綺麗にいくつも結んであったので「飾りもの」の可能性も
捨てきれてなかったのです。・・・とりあえず食べ物でよかった(^_^;)
別スレたてたほうがいいかな。

111 名前:!WU?投稿日:2000/03/13(月) 17:41
ほんとにみんないい話ですね。
感動話もくすっと吹き出しちゃうのも、みんなみんな好きです。
毎日ここを見るのがとても楽しみです。
心があったかくなります。
「日本一あったかい食べ物の話」って本が出せそう。(^_^)


112 名前:明るい田中麗奈投稿日:2000/03/13(月) 18:47
42の話を書いたとき、「あの頃なにかもっと重要な思い出があったはず」という思いが拭えませんでした。それを思い出したのでちょっと長いですがよかったら聞いて下さい。

小学校3、4年のころ私には同じクラスに親友が1人いました(42のカード仲間とは別)。毎日、学校にいるあいだはもちろん、家に帰ってきた後も空き地や空き家に入って基地づくりなどをして遊んでいました。私が住んでいた町は、その頃市街地の拡大の波が押し寄せていて、空き地や空き家が多かったのです。

空き地に捨てられた廃材を使って、いつになく大きな基地を作り上げたことがありました。基地は2人だけでつくったものでしたが、だいたい出来上がったころには興味を持った近所の子供も集まってきていました。私は完成した基地の中でまずなにをするかについて親友に提案しました。私がスーパーまで行って私のおごりでアイスを買ってくるから、そのあいだ基地を守ってくれ。親友は喜んで、「○○出撃せよ」と隙間だらけの基地の中に潜り込みました。

(つづく)

113 名前:明るい田中麗奈投稿日:2000/03/13(月) 18:49
私がカップのバニラアイスを2つ買って帰ってくると、基地の中にいたのは中学生でした。親友は中学生に追い出されて私の帰りを待っていました。私にも中学生を相手に文句を言えるだけの勇気はなく、どうすることもできずに中学生を見ていました。中学生は私がアイスを持っているのに気づき、「お、くれるのか」と言いました。そのとき私は何を考えていたのでしょうか。どうしても思い出せないのですが(この思い出自体もしばらく忘れていたのです)、おそらく私は平静を装い続けたかったのでしょう。私は躊躇なく「あげるわ」と答えて大切なアイスをひとつ、へらもつけて中学生に渡してしまったのでした。残ったひとつをどうしようか、もともと俺が買ったアイスだし、早く食べないと溶けてしまうなどと考えているうちに親友はどこかへ行ってしまったので、私は基地のことを中学生に説明しながらそのアイスを食べてしまいました。

中学生が帰ったあと、親友が現れて、口にした言葉の音声がいまも耳に残っています。「食べ物のうらみは一番だからな」

私は小5になる前にその町から引っ越しました。その一件で疎遠になってしまった親友には中学生になってから一度だけ会いましたが、ほとんど話すことがありませんでした。あんなに毎日一緒に遊んだのに最初に思い出すのはバニラアイスのことでした。住宅地だったその町は現在では繁華街に吸収され、マンションやホテルや遊戯施設や飲み屋ばかりになってしまい、私の子供の頃の風景はもう残っていません。

114 名前:>110投稿日:2000/03/13(月) 19:28
遠野の名産品を案内したサイトがあります。
明けがらすは、ここの「和菓子1」にありますよ。
http://www.shokokai.com/tohno/

115 名前:名無しさん投稿日:2000/03/13(月) 19:47
小さい時、うちは両親が共働きで、土曜日とかはおばあちゃんにあずけられていました。
「今日は休みだから遊べるよ」といった父にとても私は喜んでいました。
だけど、急に仕事が入り出勤することに。がっかりしていると
以前、料理番組でやっていたコロッケをつくって、私に持たせてくれました。
そのコロッケは普通のコロッケなんですけど、パセリの茎をさして
みかんのようにするものなの。
忙しい中、作ってくれた父に感謝。

116 名前:名無しさん投稿日:2000/03/13(月) 20:51
中学高校と体育会系だったのでいつも死ぬほど腹を減らしてた。
途中で間食もしていたが家に帰る頃には空腹でほとんど倒れかけになっていて、
風呂より着替えより何よりもまずメシ、という状態だった。
熱い汁物は喉を通らないので牛乳のリッターパックを片手にご飯を
掻き込み、定食屋換算で4人前くらいのおかずと4合の米(+牛乳1リットル)
を平らげた。母親は呆れて、いつも
「誰もとらないんだからもっとゆっくり食べなさい」
と言っていた。
父親は晩酌なんぞをしながらその姿を面白そうに眺めていて、
んで
「じゃ、俺も少し飯にしようかな」
かなんか言う頃には(四合炊きの釜なんで)飯は当然残ってない。
母親が申し訳無さそうにそう言うといつも決まって父は笑いながら
「いいよ、じゃあ蕎麦がきでも作ってくれ」
(*そば粉を丸めたもの)

腹が減っている間はヒトの事など構っている余裕はないが、
満腹になった頃に(ほぼ毎日のように)展開するこの光景を
どことなく心苦しく思っていた。

高校を出て家を離れ十年近く経ったいまは割と人並みの食事量になったが
蕎麦がきと言う言葉を聞くとなんとなく肩身が狭い感じがする。
(……いや、父親はまだ健在なんですけどね)

117 名前:名無しさん投稿日:2000/03/13(月) 23:26
しかし、あの頃の食べ盛りの時代の食欲って
我ながら凄かった。とにかく食べまくってたなぁ

ウチの両親は、俺が昔に比べて食べる量が減っていくのを
しきりに食卓の話題にしていたが
多分、俺の食事量が減っていくのが、俺が成長していってるってことで
嬉しかったのと、自分たちがそのぶんトシをとっていっているのを
再認識する材料になってたんだろうな、と思う。

118 名前:名無しさん投稿日:2000/03/14(火) 03:56
なんて気持ちのいいスレッドなんだ

119 名前:名無しさん投稿日:2000/03/14(火) 06:36
ってことで、あげ!!

120 名前:>117投稿日:2000/03/14(火) 07:31
あと、昔の豪快な食事量がなつかしい、てのもあるでしょうね。
なんかいいご両親だねえ。大切になさってね。

121 名前:名無しさん投稿日:2000/03/14(火) 10:07
毎日一回ここを見て、爽やかな気持ちになります。
ささ、もっと続けてください。
次の方どうぞ。


122 名前:名無しさん投稿日:2000/03/14(火) 15:05
子供のころから唐あげが大好きだった。
ある日学校から帰り、急に食べたくなり、母にすごくせがんだ、いつもなら「明日ね」とあしらわれるのだが、その日はあまりのしつこさに「もう、わかった、わかった」とお皿にどっさり作ってくれた。
そして母は買い物に出かけていった。
その帰り母は事故にあった。買い物袋にはまだ
食べ盛りの子供に食べさせるためだろう、鶏肉と唐あげ粉が入っていた。もう二度と味わえないあの唐あげ。




123 名前:名無しさん投稿日:2000/03/14(火) 15:49
中学生の頃、悪さ仲間と家に溜まってた時友人が「お腹空いた」
と言うのであり合わせの材料でチャーハンを作ったんです。
そしたらみんな美味しいって平らげてくれて嬉しかった。
その後も数回家に来て「あんたのチャーハン美味いから食べたい」
って言われて、その度にぺろりと食べてくれた。

その頃の仲間とは仲違いしたり離れたりで誰一人として付き合い無いけど
たまに作るとその頃のこと思い出したりして懐かしい気分。

124 名前:名無しさん投稿日:2000/03/14(火) 16:35
唐あげと、「美味しい」っていう言葉で思い出しました。
子供の頃、友達の家に泊まりに行きました。晩御飯は私の大好物の唐あげでした。
その家のおばさんに「おばちゃんの唐あげとお母さんの唐あげと、どっちがおいしい?」
と聞かれました。私は躊躇なく「お母さんの唐あげ」と答えました。
おばさんは、ちょっと悲しそうな顔をしながら、何度も「本当?
お母さんの方がおいしいの?」と聞きましたが、その度に私は
「お母さんの方がおいしい」と答えました。
その後、おばさんが入院しました。お見舞いに行きましたが、
私は病室のドアの所までしか入れてもらえませんでした。
遠くの窓際のベッドでおばさんは横たわっていました。
おばさんは、びっくりするほど小さくなってしまった顔をこちらに向け、
泣きながら「○○ちゃん。元気でね」と私に向かって言いました。
あの時、おばちゃんの唐あげの方がおいしいって言えばよかった。
そんな嘘をついたからって、バチが当るわけでもないのに。
おばちゃん、私の大好物の唐あげを一生懸命作ってくれたのに、
悲しませてしまって、本当にごめんなさい。

125 名前:名無しさん投稿日:2000/03/14(火) 17:33
それは敗戦の時。夫はロシア兵に連れて行かれたまま帰らず、
やっとの思いで一人娘を連れて日本に帰り着いた。
頼りの姉は、家族で東京から疎開していて連絡が付かず、
すがる想いで故郷の親戚を訪ねていったら、おばさんは、良く帰ってきたねと白いご飯を炊いてくれた。
それを見たとき、ほかほかのご飯の香りで、ああ、日本だ。内地に帰ってきたんだと
今まででなかった涙がぼろぼろあふれてきた。
手を合わせてから、箸を付けた。何年かぶりの白いご飯は本当に美味しかった。
しかし、ふと気づくと娘は少し口を付けただけで食べようとしない。
国民学校にちょうど1年生で通い始めたところで敗戦を迎えたのだが、
3月生のせいか体が小さい。やっと帰ってこられたのに、
こんなにおいしいご飯を食べる力も無くしてしまったのかと思い、
ご飯を食べれば力も元気も出るから食べなさいというと、
「このご飯美味しくない。あたし、黄色い普通のおいしいご飯が食べたい。」といった。
娘は、満州生まれだからコーリャン飯の方が白飯よりもなじんでいたのだ。
その言葉を聞いたとたん、なんだかあれやこれや色々な思いが一時に胸にあふれてきて、
私はまた泣いた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

漬け物だけで何倍もご飯をお代わりする私を見て、
「おまえは、あの子の娘なのに、ほんとうに白いご飯が好きだねぇ。」と、
この話を何度も何度もして、そのたびに泣いてた婆ちゃんも、もういない。

126 名前:独歩さん投稿日:2000/03/14(火) 17:38
さめざめ

127 名前:>124投稿日:2000/03/14(火) 17:41
子供の時って正直過ぎる故の残酷さってあるよね。
大人になってからそれをとても感じる。
子供心にお世辞とかっていえないのかもしれないけど、後悔した時には
いうタイミングを失ってしまったり。せつないね。

128 名前:>122さん投稿日:2000/03/14(火) 18:17
号泣。(T_T)


129 名前:名無しさん投稿日:2000/03/14(火) 19:20
ばりばりのキャリアウーマン(のはしり)だった祖母は料理は全く駄目。
三度の食事はいつもお手伝いのおばさんの仕事でした。ところが祖父が
死の床に就いた頃、祖母は自ら台所に立ち、料理らしきものを作って祖父
のもとへ運んで食べさせてあげるようになりました。
私は当時五歳か六歳。祖父を見舞いに行ったら、ちょうど祖母が昼食の
用意をしているところに出くわしました。
「ああ、ちょうど良かった。加奈子も食べて行きなさい。」
祖母の手料理なんて食べたことがなかったので、期待と不安でいっぱい
でした。で、出された料理は、お味噌汁の中にご飯が入っていて、煮込んで
ある奴でした。しかも、まずい。
「おばあちゃん、これ、全然おいしくない」
一口だけ食べて投げ出してしまった私に謝りながら祖母は同じ食事を
祖父のもとに運んでいきました。お匙にその雑炊(もどき)をとって
祖父に食べさせてあげている姿を、私は黙って見つめていました。
「うん。うまい。うまいなぁ」
祖父はにこにこしながら与えられた食事をおいしそうに食べています。
子供心にびっくりしたのを覚えています。その後、こっそり居間に戻り、
冷たくなった残り物の雑炊(もどき)を食べてみたのですが、やっぱり
まずかった(笑)。
でも今でも、嬉しそうに「うまいなぁ」と言って妻の手料理を食べていた
祖父の姿と、誇らしげに食べ物を口に運んであげている祖母の姿が忘れ
られません。あの、煮過ぎで辛くなった雑炊(もどき)の味も・・・。

130 名前:もう15年前投稿日:2000/03/14(火) 20:02
親元を離れ、就職のため上京した私の唯一の頼りは、1年先にやはり
就職でこちらにきていたものすごく仲の良かったひとつ年上のいとこ。

まだまだ生活に慣れない梅雨の頃、職場に突然親から電話が。
「いとこの○ちゃんが倒れたらしい。近くにいるのはお前だけだから
行ってやってくれ。」
上司に事情を説明し、病院へ。病床には弱りながらも意識のしっかり
した彼がいた。
別室で医者に事情を聞くと、ずいぶん前から心臓が弱り続け、もはや
手のつけられない状態だと。

さっき話した彼には、死なんて認識はまったくない。中学で母を亡く
した彼へのさらにひどい運命のしうちに声にならない叫びをあげ拳で
壁を殴る私。
駆けつけた彼の父が残り、その日は寮に帰った。
もう会えないとはわかっていたが、そばにいるのは辛すぎた。

夜中に叔父から電話があり、「死にました」ポツリと告げられた。

翌々日駆けつけた彼の妹とうちの親たちと、悲しみながらも慌しく簡単な
葬儀を行なった。そして、彼は小さな骨壷になって妹に抱かれ新幹線で
帰郷した。

見送りの新横浜で、親が崎陽軒の「シュウマイ弁当」を買ってくれた。

新幹線を見送る雨上がりのホーム、ポツンとひとり残された私。
大げさだがこの世でひとりぼっちになった気がした。

寮に帰り、途方にくれながら1人で食ったあの弁当、味はしなかった。

131 名前:名無しさん投稿日:2000/03/14(火) 20:22
鬱病の私にはへヴィなお話しの数々でした。
皆さんどうぞ一食一食の食事を大切にして下さい。

132 名前:名無しさん投稿日:2000/03/14(火) 21:34
会社で読んでて泣きそうになってしまいました。
欠伸の振りしてごまかしたりして……


133 名前:>124投稿日:2000/03/14(火) 21:47
ごめん、私そのおばさんより、124さんの方がかわいそう、って
思った。
>「おばちゃんの唐あげとお母さんの唐あげと、どっちがおいしい?」
これに対して124さんが「どっちもおいしいよ」っていえばよかった
んだよなぁとも思うけど、そのおばさんが普通に「おいしい?」って
聞いたら124さん絶対素直に「うん!」って言ってただろうにな、
って思って(泣)。結局おいしかったんだよね。その唐あげ自体は。

134 名前:昨日の話投稿日:2000/03/15(水) 01:31
「ホワイトデー何欲しい?」と聞かれたので
「マシュマロ一箱」と答えました。
一箱までは行かなかったけど、なんのひねりも無い
白いマシュマロを3袋と、目覚まし時計をくれました。
雑誌に載っているような気の利いたプレゼントなんて
出来ない彼がちょっとかわいい。
たいした話じゃなくてごめんなさい。

135 名前:ふと思った投稿日:2000/03/15(水) 01:49
伊丹十三の「たんぽぽ」
なんてどうですか?

136 名前:名無しさん投稿日:2000/03/15(水) 16:07
あげー。

137 名前:名無しさん投稿日:2000/03/16(木) 06:45
ここに書きたい思い出がひとつあったのだが
思い出してみるとあまりにも辛すぎてどうしても書けない。

138 名前:明るい田中麗奈投稿日:2000/03/16(木) 13:15
>137 そんなに辛い食べ物があるのですか?

139 名前:へほほ投稿日:2000/03/16(木) 13:56
まだ、港北ニュータウンが造成地だった頃
初めて母親とピクニックにいったのよ。
たぶん、幼稚園くらいの頃かな。
田んぼやら草原しかないようなところを
てくてく二人で歩いているだけだったんだよね。
でも、自分は、母親と二人でピクニック、ってだけで
なんだかものすごくうれしくて、そのときは
単純に近所を散歩、ってのと変わりなかったんで
お弁当なんか作るわけも無く、そのへんの店で
菓子パンとかジュースとかそんなもんだけ買って
持って行ったんだけど、途中、一休みして食べた
チョココロネがすごくおいしくて。
外で物を食べて、おいしいと思ったのは
あれが始めてだった。
チョココロネを見るとあの時のことをいつも
思い出す。

140 名前:名無しさん投稿日:2000/03/16(木) 15:29
井川比佐志の妻が瀕死の床から立ち上がり
飯つくるシーン。僕も思い出しました。
それとも生卵口移しを思い出したんですか?

141 名前:明るい田中麗奈投稿日:2000/03/16(木) 16:07
>名無しさん そのシーンは実に日本的で余韻がありました。でも「たんぽぽ」ときいて私が思い出したのは、後者でした。ナインハーフ(だったかな?)を見たとき、「たんぽぽ」のパクリだと思ったものです。

142 名前:投稿日:2000/03/16(木) 16:15
兄と私と小学高学年から中学の頃。真夜中も真夜中深夜2時頃
毎晩酔っぱらっての父ご帰還。接待だかなんだか知らないけれど
その頃事業は絶好調だった。
「おーい起きろぉ寿司だぞ」毎晩決っておみやげの折。
中身は梅しそ巻だけの折。その梅はコリコリカリカリで刻んであって
あんな梅にはお目にかかれないな。
こっちは寝てるのに起され毎晩同じ折なんで適当に食べたり食べな
かったり。いいかげんにしてよと有難みもなかった。
ある遠足の日お弁当箱開けたら梅しそ巻が入っていたりして。
随分はぶりよくやってきた父だけどおきまりの没落して,最後の最後は
都会のアパートで一人で逝っちゃった。
今でも梅しそ巻食べると,「これはホンモノの梅しそ巻じゃない。梅は
カリカリした刻んだものでないと」などと思っています。
兄もそういうそうです。

143 名前:名無しさん投稿日:2000/03/16(木) 16:18
>141 逆だよ。「たんぽぽ」が「ナインハーフ」をぱくったの。

144 名前:明るい田中麗奈投稿日:2000/03/16(木) 21:18
なるほどその可能性も高いね。どっちが先にできたのかな。「たんぽぽ」の製作は1985年らしいけど。私は先に「たんぽぽ」見たので「ナインハーフ」が真似したと思い込みました。あまり邦画を贔屓にしない私ですが、「たんぽぽ」のほうがずっと良いと思います(比較するのが無理かも知れませんが)。久しぶりに見てみようかな、たんぽぽ。

145 名前:名無しさん投稿日:2000/03/16(木) 21:51
>144
頻繁に現れて殆ど食事と関係ない話ばっかするのはやめてけれ。
いちいちレスに反応しなくて良いからさ。
改行もしてないから読む気失せるのよ。
これにもレスしないでけれ。

146 名前:まだ思い出じゃないんだ投稿日:2000/03/16(木) 22:06
ねえ。悲しい時でも辛い時でも、やっぱりごはんって食べるよね。
でないと生きて行けないものね。
私は先週とてもとても辛いことがありました。しばらくは何も食べれ
なかった。でも今日はちゃんと3食食べてた。だって私の気持ちとは
関係なく、おなかがすくんだもの。なぜかおかしかった。
今はとても言えないけど、いつか、みんなのように、思い出として
つらかった気持ちを文章にできたらいいな。
おいしいごはんを食べたいな。

147 名前:ぷるぷる投稿日:2000/03/17(金) 00:44
ここを読んでいると、涙が流れてしょうがありません。
食べ物って一番身近なもんだから、みんないろんな思い出があると思います。
じゃあ、俺もひとつ。
父が自分で作った、前の晩から水に浸していた大豆をミキサーにかけて
煮ました。それを煮てみんなで綿の布でこしました。
それから、わざわざ沖の海から汲んできた海水を入れるとおぼろ豆腐になりました。
それに塩をかけてみんなで食べたのを覚えています。
父はもういませんが、美味しいものを子供に食べさせようとしていたんだと
思います。感謝です。


148 名前:明日もキャベツ・・・投稿日:2000/03/17(金) 01:30
親元を離れてしみじみ思ったこと。

親はいつも子供を心配していて、あらゆることに直接首をつっこんでは
こないかわりの間接的な愛情(心配)表現として一番多いのは食事のことでしょう。

大人の年齢になった自分が、大学で遠く離れた地域にいる妹に
宅配便として送るものがそこいらのコンビニで買えるような
食べ物類ばかり・・・。
親と同じ行動をしていた。

そういう私も親に食べ物をよく送ってもらうんですが、
一人暮らしの私にかぼちゃ7個・キャベツ3個・白菜2コ・大根2本は
ちょっと食えんわ(笑)、おかん。
腐らしたら捨てればいいっておっしゃるけどね、せっかく送ってくれた
あなたの「きもち」を捨てる気がして捨てれないのよね〜。
だから送ってくれたその日から当分、3食白菜食ってるときあるよ(笑)

しかし、すばらしい、すばらしい、このスレッド。
日々の生活で汚れがちな心の洗濯ができるよ。
ずっと残っててね、ココ!

149 名前:名無しさん投稿日:2000/03/17(金) 02:30
>56,110さん
きのう、お昼休みに八丁堀をぶらぶらしてて
青森物産センターってとこに入ったんです。
そしたら、どうも遠野さんのおっしゃってる
謎の食べ物はこれじゃないかなってのがあった。
それは、ズバリ「干し餅」。
ラベルには、四角い白いのを藁でくくって
軒先に吊るしてる絵が。
食紅をまぜこんで筋模様をつけたり、あろうことかバターで!風味を
つけたりと、いらんことはしてあったものの
味は、さくさくしてうす甘く、ほんと、パイみたいにこぼれる。
腰の弱いおかきというか、なんか、遠野さんの説明と
符合するとこがすごく多いものでしたよ。
違うかなー。


150 名前:K子投稿日:2000/03/17(金) 03:03
小さい頃。お父さんが日曜夜はお好み焼きを焼いてくれた。
すごくはりきって、「K子、たくさん食べや」って言って、
焼き方、材料、鉄板にまでこだわって。美味しいもの私に食べさせたかった
んだろうな。

それなのに「お父さんはちゃんと育てられてないんや。悪いけど両親から
下品に育てられてるんちゃうの?」
なんて食べ方のささいなことで言ってしまった。悲しそうな顔してたお父さん。
戦争中、疎開先に親が迎えに来てくれなくて、ひとりですごく遠いとこから歩いて
帰ってきた話も知ってる。いいもん食べさせてもらえなくて身体小さくていじめられたから、
娘にだけは小さい頃からおいしいもの食べさせようとしてくれてた。

あんなことどうして言ってしまったんだろ。
自分が許せない。ごめんなさいって言いたかった。もう遅い・・・。

151 名前:黄金飴投稿日:2000/03/17(金) 04:01
昔、自分が小学校卒業したあとに、自宅を新築することになり、
少し離れた場所の借家に移り住んだ。
その頃によくなめていた黄金飴という飴を食べると、
その頃の思い出が甦ってきます。
中学校の入学式の次の日は休みだと母に言われて休んだら、
担任から電話がかかってきてびっくりしたこと(母の勘違いだった)
冷暖房がなくてつらかったこと。
しきりがなくてストレスがたまったこと。(1人Hがやりにくかった)
ゴキブリがでてこわかったこと。
母方の祖母と父親がケンカして父親が自分の両親の家に行ってしまい、
何ヶ月か別居していたこと。
などなど。
そして半年以上が経過して無事、家は完成し、家族は新しい家に引越し
した。その後その借家は取り壊されて、駐車場になった。
高校生の頃に同じ黄金飴を食べてみたらば、
中学に入りたての思いでがぶわーって広がってきて、
とても切なくなりました。


152 名前:>150投稿日:2000/03/17(金) 06:18
号泣。
俺もオヤジの作ってくれたこげた卵焼きまずいなんて言わなきゃ良かった。
食えば良かった。今親になってあのときの親父の気持ちわかるようになった。

153 名前:明るい田中麗奈投稿日:2000/03/17(金) 09:36
>150 泣ける。普段かまってやれない分反省してはりきりすぎて娘にカウンターを食らう父親の悲哀がよく伝わってきます。

>145 おまえもな。

(ナインハーフも1985年製作のようです。従って、どちらかが他方をぱくったということはなさそうです)

154 名前:>148投稿日:2000/03/17(金) 10:59
その「きもち」、すごくわかります。

一人暮らしを始めてもう4年。今でも、たまに実家から荷物が届く。
みかんの絵のダンボール箱の中身は、
おせんべい、チャーハンの素、レトルトカレー、豚肉こま切れ3パック、りんご1袋などなど。
荷物が届いたのを見計らったように実家から電話が。
「ごめんね、なんか取り留めのないもの送っちゃって…」と謝る母。
「あんなに肉食べきれないよ」とか、「レトルトカレーならいっぱいあるのに」とか強がってみる。
すると母は必ず、取り繕うような口調で「冷凍しとけば」「いっぱいあっても困らない」とか言い訳を始める。

でも、取り留めないものでも、送ってくれた「きもち」が嬉しい。
「ありがとう」、なかなか言えないけど、今度、言ってみるか。

…食事の話じゃないですね、すみません。


155 名前:名無しさん投稿日:2000/03/17(金) 12:50
ココいいね・・・・
2CH暦半年位だけど・・・
こんなにいいスレッドは初めてみたよ!


156 名前:!WU?投稿日:2000/03/17(金) 12:56
おなかすいた、でもなにもないや、、、と思った瞬間に思い出すのが、おかんが送ってくれたインスタントラーメン。
普段「インスタントなんて食べると身体壊すよ!」って言ってるのに、なぜか送ってくる荷物の中には必ず入ってる。
きっと自分のものぐさな性格を見抜いてるんだろう。
茹でただけのラーメン、具もないラーメン。
だけど送ってくれたおかんの顔を思い出すと、おいしく食べられるんだから不思議なもんだ。
母の日にはおいしいもんでもこっちから送ってあげたいな、と思う。

157 名前:けん投稿日:2000/03/17(金) 17:35
うぅっ!なんて仕事効率を落とすスレッドなんだ。
少しずつ読まないと大泣きしてしまう。
俺の仕事はどうでも良い!(2ちゃんを見てる時点でもうダメだが)
続けてくれ!感動を!!


158 名前:マヨラー投稿日:2000/03/17(金) 18:24
えーと、子供のときに両親が別居していて
私達姉妹は母と一緒にに暮らしていたのですが
別居して2年目に父が東京から私達に会いに来てくれたのです。
3日ほどですが一緒に過ごすことができました。
父はその時の夕食の為にマヨネーズを作ってくれました。
私と姉も手伝って・・妙にはしゃいだのを覚えています。
とってもたくさんのマヨネーズができました。
その味はなんとなくしか覚えていないけれど
手作りマヨネーズと聞くと今でも胸がジンジン痺れます。
あれから両親が離婚して17年もずっと連絡とれずにいるのですが・・

とにかく、それから私はマヨラーです。
下手な文ですいません。


159 名前:名無しさん投稿日:2000/03/17(金) 18:45
>158
お父さんと連絡・・・いつか取れるといいですね。
私も両親が離婚してお父さんと連絡取れない状況ですが。
きっとお父さんもそのマヨネーズの味、思い出す事
あるんじゃないかなぁ。


160 名前:名無しさん投稿日:2000/03/17(金) 19:24
>明るい田中麗奈 さん
だれかが共感してくれのは、いいことだと思う。
だから続けてくださいね。

私の中にも、何か話があるのでしょうけど
思い出すのが恥ずかしくて出てきません
いつか出てきたら書かせていただきます。
こういうスレッド他でも作ったらいいね。
「思い出に残る●●シリーズ 感動編」

161 名前:名無しさん投稿日:2000/03/17(金) 23:47
このスレッドは大好きなんだけど、
145の言うように明るい田中麗奈って人が雰囲気を壊してる。
なに仕切ったつもりになって無駄レスつけてるの?
それと、お願いだから改行ぐらいしてください。

お前もな、っていちいちレスつけなくていいよ。
私は前にネタ書いたら今回は文句だけ、明るい・・さんもネタは良かったけどね(笑)

162 名前:名無しさん投稿日:2000/03/17(金) 23:51
なんで食べ物のはなしで
こんなに面白いのかはふしぎですね〜

食べ物が人と人とを結んでいる部分が
あるのは知っているけど…これほどまでとは。

中国では毎食絶対、家族と食べるという話を思い出しました。
昼、子供は学校から家に帰ってくるらしい。
(みんながみんなという訳ではないと思うが…)

それほど大事という事らしい。(何を置いても食が一番)


加えてもう一言、、、「2ちゃんも、捨てたもんじゃないじゃん!」

163 名前:名無しさん投稿日:2000/03/17(金) 23:55
親しくなりたい人を食事に誘う訳が分かった気がする。

164 名前:名無しさん投稿日:2000/03/18(土) 01:15
いつも田舎のおばあちゃんは仏壇に毎朝炊き立てのご飯を
供えるのが日課でした。夕食にはいつもその日の朝に供えた
ご飯を食べていたそうです。僕が物心ついた頃にはカチカチの
ご飯を食べるのが辛い年になってしまい、お茶漬けにして
「ごはんですよ」を混ぜて食べていたのを覚えています。
そんなおばあちゃんが5年ほど前に事故で死んじゃいました。
買い物の帰りだったらしく、買い物のビニール袋の中に
傷だらけの「ごはんですよ」が入っていました。
お葬式も終わって、家族みんなでその「ごはんですよ」で
お茶漬けを食べました。涙がいっぱい、いっぱい出ました。


165 名前:嫌なガキだった投稿日:2000/03/18(土) 02:47
小学校の卒業記念に、両親はイチジクの苗を買って植えてくれました。
父と二人で、成長するのを楽しみによく木を眺めたものです。
それなのにいざ実がなって父がジャムを作ってくれると、そのジャムが
なんだか汚いような気がしたんです。鳥がつついたかもしれないし、
虫だって食べたかもしれない。それに父はジャムなんか作ったことは
ないはず、そういったくだらないことが理由でした。
結局私はほとんど食べませんでしたが、そのうちに引越しが決まって
木は切られてしまいました。今なら無農薬手作りジャムの良さも
わかるし、木を大事にしていた親の気持ちもわかる・・・。

166 名前:名無しさん投稿日:2000/03/18(土) 03:02
彼の家に初めて遊びに行った時の事。
私の大好物の生麩を彼のお母さんが出してくれたので
ちょっと感激しながら1口食べたら、生麩の中に髪の毛が入ってた。
「うわっ!!」と思ったんだけど、そんな事言ったらわざわざ京都まで
買出しに行ってくれたお母さんに申し訳ないし・・・。
ここは根性の見せ所だ!と涙ぐみながらにっこり残さず食べた。
その後彼とは結婚しましたが、お義母さんは未だに
「あんなに感激してくれて、私も涙出ちゃったのよ〜」
と言ってくれる優しい人です。


167 名前:スイカジュース投稿日:2000/03/18(土) 03:51
まだ私が高校生だった頃、父の田舎に帰ったときに、
おじいちゃんがスイカジュースを作ってくれた。

おじいちゃんは呆けてて、ミキサーにスイカの皮まで入れて、
茶色いスイカジュースが出来上がってしまった。
それを、私に「飲め飲め」と進めた。
おばあちゃんも、両親も「そんな物飲まなくて良いよ」と言ったが、
私のために、畑で重いスイカを採ってきて、一生懸命作ってくれた
おじいちゃんに申し訳なくて、一気に飲み干した。
「美味いか?美味いか?」と何度も聞くおじいちゃんに、
「うん、美味しかったよ」と、何度も嘘を付いた。

数年後、癌で亡くなったおじいちゃんのお通夜に出席した。
「いやー、成仏してくれて、清々したわ〜」と、
どんちゃん騒ぎする親族を後目に、私は一晩中おじいちゃんの側で、
「スイカジュース、ほんとに美味しかったよ」と言い続けた。

あの青臭い、苦いスイカジュース。
今でも味を覚えてます。

168 名前:お好み焼き投稿日:2000/03/18(土) 04:22
それは叔母がホスピスに移る少し前のこと。
叔母は乳癌が再発して肺に転移し、余命数ヶ月と言われていました。
遠くの大学に通っていた私は、帰省したときに叔母を見舞いに行きました。
叔母はこの時すでに告知を受け、病院を離れ、実家に戻っていました。

私が訪ねたとき、叔母はときどき咳をしつつ、お好み焼きを作っていました。
思い残すことがないように、食べたいものを食べておくのだと。
「○○君もどう?」 私の分も作ってくれました。
そのお好み焼きは本当に美味しかった。でも、
(あと数ヶ月でこの人はこの世から居なくなってしまうのだ。四十代の若さで)
そう思うと、悔しくて、悲しくて、胸が詰まってしまい、
私はほんの数口しか食べられませんでした。どうしても食べられなかった。
ごめん、さっき家で昼ご飯食べたからと言い訳すると
そう、と叔母は寂しそうに笑いました。

結局、これが今生の別れになってしまいました。
叔母を偲び、時折お好み焼きに挑戦することがありますが
どうしても、あの味には到達できません。
あのとき、自分も作るのを手伝ったのですが…
無理をしても全部食べておくのだったと、今でも悔やまれてなりません。

169 名前:へちま化粧水投稿日:2000/03/18(土) 07:00
みなさん、いいお話で、こんな朝から電車の音を聞きながら
ちょっとうるうるです。

私のは「いい話」じゃないけど・・・
彼とつきあって、初めてお泊まりした次の日。近所のイトーヨーカ堂で
二人でお買い物をして、「なんだか肉が食べたい」という彼のために
ステーキを焼いてあげよう、と思いつきました。
そう思って当時お金持ちだった(浪人中のバイトとかで)彼は
けっこういい肉をぽんとカゴに入れて、アパートに帰り、
わたしはごはんを作ってあげることにしました。
なにかステーキソースになるものぐらいあるだろうと思ってたけど
ひとり暮らしを始めたばかりの彼の部屋にはなんにもなくて、
サイコロステーキを焼いて、そこにおしょうゆをじゃーっとかけて
それを出しました。実家でよくやっていて、けっこうおいしいんですよ。
(強火でジャッとしょうゆをやるのがポイント)

彼はおいしいおいしい、って全部食べてくれて、どうやって作ったの?
って言いました。おしょうゆだけ、って言ったら、すごく感心してくれて
あとになって言うには「この子がいい」って、その時に思ったそうです。

いまでも彼は「ああいうのが食べたい」と言いますし、よく作ってあげるのですが
なかなか思い出の味、というものにはならず(笑)、「ちがう!」と
文句を言われます。でも、かならずおいしかったって残さず食べてくれる
彼のことが、私は大好きです。
実際私は、ステーキとか、いわゆる洋食より煮物を作ることが多く
彼も私の鶏じゃが、ブリ大根なんかを食べることのが多いです。
でも、「お前が作るめしばっかりで、他の煮物を食べるとなんか違う、って
いつも思う」って言ってくれて、なんかうれしいような、くすぐったいような。
昨日ケンカして「あなたのそういうのが大嫌い」って言っちゃったけど、
ホントは世界で一番好きです。ごめんね。

170 名前:へちま化粧水投稿日:2000/03/18(土) 07:10
ああ、長いしつまらない話を書いてしまった・・・

つきあってはじめての彼の誕生日に、ケーキを買おう、と思い
ふたりだけだし、とチョコレートケーキのちいさいのを買い、
お祝いしました。
そしたら、彼が「これじゃやだ」と言い出し、ケンカしました・・・。
彼がいうには、実家ではケーキを買って、なんてお誕生日はやらずに
大きくなったので、「白くて」「丸くて」「いちごがついてて」「チョコの
おめでとうプレートが置いてある」「ロウソクの立った」ケーキが
欲しかったそうです。子供だ・・・
とりあえず、次の日にご希望どおりのものを買って、無事にお祝いしたけど
でもケーキ屋さんでいかにもバースデーケーキフルコース!ってのを
頼んでおいて、「ロウソクは何本に?」って言われて「20本で」って
お願いするの、恥ずかしかったです。「は?」「ごめんね、20本ください」って。
いまでも彼のぶんのケーキはかならず白いやつです。絶対です。




171 名前:二流サラリーマン投稿日:2000/03/18(土) 11:07
ギャンブル好きな父は、幼稚園に入ったばかりの僕の手を引き、
よく、日曜日、横浜桜木町の場外馬券売場に足を運んだ。
けれど、レースをするのはいつも途中まで。午後になると必ず
桜木町の駅に戻り、当時あったミルクスタンドで、
ホットドックを買って、僕に与えた。
ケチャップの甘辛い味と、やわらか歯ごたえが好きだった。
口の周りをケチャップで赤くした僕の手を引きながら、
いつも父の足は横浜港へ向かった。
空飛ぶカモメと港を行き交う船を見ながら、
港湾労働者だった自分の仕事を話をたくさんした。そして、
いつも最後は「この港が大好きだ。この港を支えるような大人になれ」
と僕の肩を掴んだ・・・。

あれから25年。期待にロクに応えられない息子で申し訳ない。
ギャンブルも酒も好きで、小さいアパート暮らしだったけど、
最後はマンションまできちんと買った。オレより遙かにしっかりしてる。
この間、風呂上がりに見た父の足のスネが、筋肉隆々だった面影もなく、
本当に細くなっていたのに驚いた。
ごめん、これから、もっと頑張るよ。

172 名前:独歩さん投稿日:2000/03/18(土) 11:53
このスレッド読んで、昼飯前にひと泣き。ぅぅぅ。

173 名前:ぷるぷる投稿日:2000/03/18(土) 11:59
>独歩さん
私も潤潤しっぱなしです。
良いスレッドですね。


174 名前:名無しさん投稿日:2000/03/18(土) 17:30
あげ。

175 名前:名無しさん投稿日:2000/03/18(土) 18:58
10年程前、当時高校生だったTとオレとで山登りをした。
登山といえるほど本格的なものじゃ無いけど、テントを担いでいって
一泊の予定。
夜になり晩飯にはお約束のカレーを作って食った。頂上までは後少しだったし
荷物が重くなるのが嫌で食料はあんまり持ってきてなかった。
「とっとと寝て朝早く出発しようぜ。」
夜中になって自分達の甘さを思い知らされた。
春だから軽装にしたがその寒い事寒い事、とても寝てられない。腹も減ってくる。
歯をガチガチ言わせながらお互い泣きそうになってたらTがカップラーメンを2つ
持ってきたのを思い出した。周りから急いで木を集めてきて火をつけてお湯を焚いて
カップラーメンを寒さに震えながら食った。そのうまい事うまい事。
白い息を吐きながら「んとに美味いなぁ、今世界中でカップラーメンを一番美味いと
思って食ってんのは間違いなくおれ達二人だけだなぁ、はは」
ゲラゲラ笑いながら一気に食った。結局眠れずに色んな話をしたけど合間に「カップ
ラーメンを一番美味いというおれ達だけどな」なんて冗談を言い合ったりした。ゲラ
ゲラ笑いながら一晩中。ホントににうまかったんだよ。

卒業後の進路もバラバラで余り連絡もしなくなってた頃、Tが自ら命を絶ったことを
聞いた。理由はわからないし聞きたくも無かった。葬式には出れなかったけどTには
こう言ってやりたかった。
「馬鹿やろう。世の中にはカップラーメンよりももっともっと美味い食べ物が一杯あ
 るんだぞ。」

176 名前:まい投稿日:2000/03/19(日) 02:34
末の弟が幼稚園の頃、兄弟3人でパイナップルを
並んで食べていたら父が急に泣き出した事が
ありました。

私の父の父(私の祖父)は、終戦の前後、ある都市の
捕虜収容所に勤めていたそうです。
時々アメリカ軍の飛行機が飛んで来ては、毛布や
缶詰などの物資を落下傘で収容所の近くに落として
行くのだそうです。
もちろん、収容所に勤務するものがその物資に
手を付けるのは御法度でしたが、祖父は決死の
覚悟で(見つかったら、半殺しの目にあったとか)
パイナップルの缶詰を持って帰り自分は一口も食べる事無く、全部を7人の子供に
食べさせ、それをにこにこと見守って見ていたそうで
父は、当時、末っ子で5歳、「親父は、どんな
気持ちで、わしが食べるのを見てたのかと
思うと胸がつまる。」と、ぐっと来たそうです。
もともとからだが丈夫でなかった祖父は、3年後
結核で亡くなりました。

で、父の還暦のお祝いに親戚が、集まったとき
ちょっと、いたずら心が働いて
パイナップルの缶詰を、叔父や叔母達に出して
「お父さんたら、泣き虫で、これ見たら泣くしかなんわ」
と、祖父の話に水を向けると、兄弟皆が泣き出して
しまいました。「あんなに、ぼこぼこにへこんだ
缶詰を抱えて走ったお父さん、どんな気持ち
だったんだろうね。」とか、「学校に行って友達に
自慢したくても、お父さんに口止めされてたから
できなかったのよ」と口々に想い出話が、出ましたが
人の大切な想い出を、汚してしまったようで少し
後味が悪かったです。
ごめんね、お父さん。大切な想い出に、いたづら心なんか働かせて
と、すごく反省しました。

177 名前:名無しさん投稿日:2000/03/19(日) 04:20
何か、何かです。。。。
涙がいっぱいです。。。

178 名前:名無しさん投稿日:2000/03/19(日) 09:00
はじめて文章で泣いた。
ココっていいとこなんだと今気付いた。

179 名前:名無しさん投稿日:2000/03/20(月) 02:31
おあげ

180 名前:名無しさん投稿日:2000/03/20(月) 09:37
あげ

181 名前:名無しさん投稿日:2000/03/20(月) 13:03
朝から夜まで働き通しだった母が忙しい時間の合間を縫ってつくってくれていたものだ。
そんな事はすっかり忘れていた一昨年、私は離婚して一人、今は母だけになった実家に帰った。
自暴自棄になり仕事も辞めていたから、実家で数日を過ごした。
毎晩黙って酒をあおる私を母は何も言わず、早く寝ろと促すだけで先に眠っていた。
ある日、昼過ぎまで寝ていた私が台所で酔い覚めの水を飲むとテーブルに何かあることに気付いた。
作り置きの冷えたオムライス。
メモがあって「用事があって出かけるから、これ食べなさい。」と書いてあった。
私はラップを剥がして、静かにオムライスを食べた。
懐かしさと、切なさと・・・色々な感情がまじって湧き出し、オムライスはしょっぱくなった。
私はその日、帰京する支度をして、また一からやりなおすと母に誓った。
今はまだ一人だけど、淡々とそれでも楽しく生きている。

口に出して言えないけれど……
お母さん、私は永遠にお母さんの息子です。
ありがとう。

近い内に、また帰省します。


182 名前:181投稿日:2000/03/20(月) 14:40
書き込みミスりました・・・。

小学生の頃、一人っ子で、鍵っ子だったぼくの土曜日の昼食は冷えたオムライスだった。
毎週といっていいほど、ケチャップをつけてラップをかけたオムライスだった。
朝から夜まで働き通しだった母が忙しい時間の合間を縫ってつくってくれていたものだ。
そんな事はすっかり忘れていた一昨年、私は離婚して一人、今は母だけになった実家に帰った。
自暴自棄になり仕事も辞めていたから、実家で数日を過ごした。
毎晩黙って酒をあおる私を母は何も言わず、早く寝ろと促すだけで先に眠っていた。
ある日、昼過ぎまで寝ていた私が台所で酔い覚めの水を飲むとテーブルに何かあることに気付いた。
作り置きの冷えたオムライス。
メモがあって「用事があって出かけるから、これ食べなさい。」と書いてあった。
私はラップを剥がして、静かにオムライスを食べた。
懐かしさと、切なさと・・・色々な感情がまじって湧き出し、オムライスはしょっぱくなった。
私はその日、帰京する支度をして、また一からやりなおすと母に誓った。
今はまだ一人だけど、淡々とそれでも楽しく生きている。

口に出して言えないけれど……
お母さん、私は永遠にあなたの息子です。


183 名前:名無しさん投稿日:2000/03/20(月) 23:10
これがあげずにいられるか!(T_T)/

184 名前:名無しさん投稿日:2000/03/20(月) 23:17
だめ人間だもの・・・・・ミトゥオ

185 名前:みなさんが羨ましい投稿日:2000/03/21(火) 00:23
色々あっても、暖かい家と、食事を作ってくれる暖かい人。
そしてその思い出。

私には、はじめから与えられませんでした。
だからここ読んでいると、羨ましくて、自分が惨めで、涙が溢れます。
みなさんが羨ましい。

186 名前:名無しさん投稿日:2000/03/21(火) 01:52
相変わらず泣けますね。このスレッド。
感動した人、ここに投票しましょう。
1人でたくさん入れたいけど、このスレッドを見た後ではなぜか出来ない。
1票ずつ入れましょう・・。
http://www9.freeweb.ne.jp/computer/nich/cgi-bin/enqsp/enqsp.cgi?

187 名前:186投稿日:2000/03/21(火) 01:58
あれれ、クリックしただけじゃいけないですね。
ブラウザのアドレス入れるとこにURLを直接コピーすればいけるみたいです・・・。

188 名前:ANA投稿日:2000/03/21(火) 04:10
眠れなくて、なんとなく覗いたら感動しました。

私の食べ物の思い出は、今から10程前の事ですが、
そのころ付き合っていた彼女との思い出になります。

遠距離恋愛でもあり、彼女の母親にあまりよく思われてなかった
私ですが、正式に結婚のお願いを彼女の両親に申し込みに行きました。
当日、緊張で朝まで寝れなかったのに、
「ちょっと休憩。」と思いうつらうつらしてたら、電話が鳴って
ハッ!!としたらもうお昼!(大バカですね(笑) )
大急ぎで彼女に実家に約束の8時間遅れで行きました。

色々と経緯があり、彼女のお母さんに私は好かれてなかったのですが
とても沢山のご馳走を用意していててくれました。
「男の人だから沢山食べて!!」との事でしたが、、悲しいかな
私は学生時代、減量のあるスポーツをずっとしていたので
胃を小さくする(大量に物を食べない)食生活と習慣が身についてて
女性並みの食事料で腹いっぱいになるんです。それに貧乏性なのか
箸をつけて残す という事が嫌いなんですよね(駄目ですね〜。)

「結婚させて下さい。」の返答は「もう少し考えさせて欲しい。」
との事でした。


189 名前:ANA投稿日:2000/03/21(火) 04:31
駄文で済みません!(続きです。)

後で彼女から聞いたのですが、彼女の母親にやはり良い印象を与えられなくて
いわく「男の人の癖に、小食で線が細いね(筋肉質なんですが、(T.T))」
「男の人は豪快なぐらい食べる人がいい、神経質じゃないの?」
と言われたそうです。

それから、1年後色々有って結局彼女とはお別れとなっちゃいました。
4年前、彼女が結婚すると聞き、お祝いするわけにもいかないので
共通の友人に頼んで、その友人からということで3万円分の
彼女の好きだった花を送りました。

彼女には悲しい思い出しか作ってやれなかった悔しさが今でも
フッと頭をよぎります。幸せになってて欲しいなと思ってます。

私は相変わらずの小食ですが、それ以来は
沢山の食事を出されたときはトイレで隠れて吐いてでも(汚くてすみません。)
食べるようにしてます。折角作ってくれたご飯に対して申し訳ないと
思うんですが、「好意には相手の喜ぶように」と思うようにしてます。


190 名前:>189投稿日:2000/03/21(火) 04:53
少ししか食べれないとわかっていたら、
その少しでも「おいしい」と食べてくれたら喜ぶ人は
たくさんいるよ。今日からもう無理はしないで下さいね。
それにムリしてたってわかったら、悲しがる人もいるから。
あえて、正直に言う勇気も持って!

191 名前:ANA投稿日:2000/03/21(火) 05:25
>190

  ありがとう。

192 名前:名無しさん投稿日:2000/03/21(火) 05:56
いい話しばかりですね・・・

わたしの両親は6才の時に別居し、10才の時に離婚しました。
でもわたしが幼稚園の年少組の時はまだ両親が仲がよくて
日曜日の夜には、いつも2人で晩酌をしていました。
わたしは9時には布団に入れられるんだけど、晩酌の仲間に入りたくて
のどが渇いた、とか、トイレ、とか理由をつけては起き出し
おつまみを食べさせてもらっていました。
ちくわチーズとかサラミとか、たいしたことないものなんだけど
仲間に入れてもらったのがうれしくて
次の日いつも妹に自慢してました。
いまでもおつまみを食べると思い出してしまいます。

193 名前:192投稿日:2000/03/21(火) 06:08
もう一つ思い出したので・・・

小学校に入った頃から両親の仲が悪くなり、父がほとんど帰って来なくなりました。
ある日、久しぶりに帰ってきた父と母が大喧嘩をし
母が夜中に出ていってしまいました。

不安でわたしも起き出したのですが、なんとなく
ケンカのことは触れてはいけないように思い
「おなかすいたんやけど・・・」と父に話しかけました。
しかし「こんな夜中になにゆうてんねん。さっさと寝ろ」と怒られ、
「なんでママが出ていったん?パパなんかキライや、パパが出ていけばよかってん。」
と言い捨て、布団に潜り込んで泣いていました。

しばらくすると、なにごともなかったように父が部屋にやってきて
「ラーメンと焼きそば、どっちがいいんや?」
と聞きました。
泣きながら「焼きそば」と答え、父と2人で夜中に台所で
鼻をすすりながらUFOを食べた思い出があります。

駄文でごめんなさい。

194 名前:名無しさん投稿日:2000/03/21(火) 08:18
おじいちゃんがぼけてしまって、もう何年もたつのですが…
戦争中、炊事担当だったこともあって、よくいろいろつくってくれた
ものです。なかでもにゅうめんがとてもおいしかったのですが、つくり
かたがいまだにわかりません。なすがはいってて、汁気のないどろっと
したやつです。誰かつくりかた知りませんか。
(ちなみに祖父は富山の人です)

実家はどいなかなのですが、高校時代、帰りがおそくなるといつも
おじいちゃんが自転車で駅の前で待っててくれました。でも私は恥ずか
しくて、無視してさっさと早歩きで帰ってた。おじいちゃんはそのあと
からだまってゆっくりついてきてた。
小学校のころは、学校から帰ると冬はストーブの前でパンをやいたり
豆をいったりしてくれたものです。
おじいちゃんはおばあちゃんよりも背も低くて、戦争のために耳も遠くて
ほとんどしゃべらない、私が朝食のとき新聞を独占してしまうのでずっと
チラシをながめてるような人でした。
もう私のこともわかりません。ゆうごはんのときになにかしたくて台所を
うろうろして、ちゃきちゃきのおばあちゃんにいつも怒られてたことを
おもいだすとなつかしいです。

195 名前:名無しさん投稿日:2000/03/21(火) 12:01
>194
おじいさん、大切にしてあげてくださいね。
このスレッドでよくあるように、亡くなってしまってから、
後悔しないように。

196 名前:名無しさん投稿日:2000/03/21(火) 12:30
うちの4年前に亡くなったおじいちゃんも、
最後の何年かはぼけていてとても悲しかったなあ・・・
仕事の関係で海外にいたので最後に会ったのは7年前でした。
仕事と酒にしか興味が無い祖父でしたが、私とは仲が良かったので
子供のころから一緒にいることが多かったでした。
最後に会ったときは、もう呆け始めていて、とても残念でした。
極度の出不精だった祖父でしたが、私が海外へ行く時は、
わざわざ空港まで来てくれました。 その時、空港の喫茶店で最後に
祖父が飲んでいたクリームソーダは私が注文したものですが、
そんな呆けてしまって子供のような祖父を見ていると、
私は何も言えず、ただとても悲しくなりました。
いまでもクリームソーダのあの緑色を見ると、
祖父のことを思い出します。

197 名前:名無しさん投稿日:2000/03/21(火) 14:20
圧力鍋とこのスレッドは本にしてほしいなあ・・・。
このスレ読んで泣きそうになったら圧力鍋へ(笑)
っていうか、いい板だよね、「食べ物、料理」ってさ。

昨日まである事ですごく落ち込んでいたけど、
なんか、元気になれました。

198 名前:>194投稿日:2000/03/21(火) 14:51
「茄子が入ってて汁気のないどろっとしたにゅうめん」
実家が金沢なんですが、母がよく作ってくれました。
多分そうめんをゆがかずに乾麺のまま鍋に入れてたんだと思うけど…。
今度聞いてみますね。


199 名前:名無しさん投稿日:2000/03/21(火) 23:58
小学生の頃、塾の帰りが遅くなったとき
同じクラスの男の子が自転車で追いかけてきて、
「先生が送っていけってゆーから」と、つまらなそうにいい
私の家まで一緒に、自転車を押してついてきた。
途中、彼は私に「おごりだからな」と
つぶつぶオレンジを買ってくれた。
彼はいつもバカなことや、私を怒らせるようなことをいうのに
このときは、家に着くまで一言もしゃべらなかった。
私は、そのいつもと違う様子にどきどきして、
ジュースばかり飲んでたんだよな。
みょーにのど乾いてたりして。
異性を意識したのってこれが最初かもしれない。

今も恋人にジュースを買ってもらうと
この時のことをちょっとだけ思い出す。


200 名前:名無しさん投稿日:2000/03/22(水) 00:25
>199 いいな、いいな〜。とーぜん男の子の方も意識してるんだよね、
それって。

201 名前:匿名希望投稿日:2000/03/22(水) 00:54
ここはホントに泣ける話ばかりで(T_T)
駄文ですが自分の話もひとつ。

今から15年前。小学校6年の5月。当時オヤジの仕事の関係で海外に住んでたんよ。
当時、駐在員同士で母親連中が集まっていろいろ食事を作って晩にパーティーなんぞ
開いてた。親父連中は朝早くから遠い海辺の町へ新鮮な魚を買い付けに。
でかいカジキをうちのオヤジが見事にさばいたりしてたなぁ。
子ども心にオヤジかっこええ!と感じてた。
で、その時は手巻き寿司パーティーだったな。「納豆」があってびっくりした。
なんで「納豆」がこんな遠い異国の地に?と思いつつ、食ってたんだな。
日本から新しく来た人が納豆菌を持って来てくれてたらしい。
ところが、その「納豆」のおかげで翌日に頭フラフラして・・・
なんと腸チフスにかかった。すごい高熱が何日も続いて、必死になって母親が看病して
くれた。いやあんまり覚えて無いんだ。とにかくずーっとそばにいてくれて
冷たいタオルと水分を切らせないように必死に冷たいお茶を作ってくれてた。
汚い水道水を煮沸して氷をたくさん作ってたらしい。
ともかく1ヶ月にわたる闘病生活で俺は10kg痩せ、なんとか回復した。
「あぁ、生きてるんだ」とその時に生まれて初めて感じた。
当時ちょっとひねてた俺はそれほど母親に感謝もしなかったように思う。
もっとあの時に感謝すれば良かった。
母親はその9ヵ月後、俺が小学校を卒業する2週間前、伝染病らしき脳炎で
37歳でこの世を去った。

今でも「納豆」を食べると厳しかったが優しい母親を思い出す。
ありがとう、かあさん。少し遅くなるけど、今度、墓参りに行くね。


202 名前:194投稿日:2000/03/22(水) 01:40
>198
そうか、ゆがかずにつくってたんだ。ありがとうございます

203 名前:そういえば50年前・・・投稿日:2000/03/22(水) 05:47
結核で死ぬ前に食べた甘納豆うまかったなぁ…

204 名前:バッカーです投稿日:2000/03/22(水) 10:07
>203
誰だよ

205 名前:自分の話投稿日:2000/03/22(水) 11:24
じゃなくて悪いんだけど、もう十五年ぐらい前の話。早稲田の教育学部
に岡村っていう教授がいて、「道徳教育がどーたら」という、教職をとって
いる者には必修の課目を教えておられました。その中で、生活保護をうけていて、
本当に貧しかった母子家庭の話が出ました。その母親は、家庭訪問の日、
先生が来るから、というので、自分の食事を削って羊羹をおやつに買って
おいたそうなんです。ところが、その先生は家庭訪問の間にその羊羹を食べ
なかった。そのまま帰ろうとしたので、母親がその羊羹を包んで、「是非
お持ち帰りください」と渡したらしいんですよ。教師はそれを受け取った
のですが、家を出て数メートル行った所のごみ箱にあっさりとそれを捨てた
そうです。その羊羹を後で母子が見つけて、はらはら涙を流した・・・っていう
話だったんですが、岡村教授の結論は「こういう人間は教師になる資格は
ない」ということでした。いやー、その話、うちも激貧だったもので、
本当に胸に響いたんですよ。大きな階段教室だったんですが、泣けて泣けて
仕方なくて、途中で退室しなければならなくなってしまいました。
岡村先生、どうしておられるんでしょう。結局私も教師になりました。うち
は家庭訪問なんてありませんが、あの先生のお話、今でもしっかり覚えて
います。泣き出しちゃって本当に申し訳ありませんでした。

206 名前:名無しさん投稿日:2000/03/22(水) 13:59
このスレッドの書きこみで一本番組作ったらどうだい>テレビ局関係者

207 名前:>205投稿日:2000/03/22(水) 14:09
似たような話が「人間交差点」というマンガにありました。マンガの
ほうは羊羹ではなくぼたもち(あんころもち?)だったけど。
読んだときは泣けました。思い出したので、ちょっと書き込みを。

208 名前:名無しさん投稿日:2000/03/22(水) 15:27
>205
あの、うちの両親は教師なのですが…
家庭訪問などのときにお菓子を食べるのはいけないことなんですよ。
ルールとしてということもあるし、全部のうちで気つかって食べてたら
おなかこわしちゃうから。だから、生徒側も、出さないか、カタチだけ
とわりきるかにしないと。
…と、いうような話じゃないか…その親子の気持ちはいたいほどわかり
ますけど。その教師のいけないのは、みつかる可能性のあるところで
捨てたってことなのかな。もってかえらないと
いずれにせよ、最近ではイナカでも教師は聖職というかんじはないので、
もうこんなこと(自分の身をけずってまでも先生におもてなしする)は
ないんでしょうね。以前はうちにもお中元やお歳暮がやまほどきてまし
た。今はあまりない、いいことだとおもいます。

209 名前:名無しさん投稿日:2000/03/22(水) 16:53
>208
教師の家は、お中元、お歳暮は親戚以外の物は受け取れなくて、
子供は何となく恨めしく思うものですよねー。
下らない話ですが、カルピスを持って生徒さんの親御さんが、
大学入試に合格したお礼にといらしたとき、
父親が玄関で、まだ在学中の教え子のうちから贈り物を貰うわけにはいかないからと
断っていたのですが、滅多に飲めないフルーツカルピスが入っている箱を
見てしまった私たち兄弟は、引き戸一枚奥なだけの台所で、
「かるぴすーかるぴすー、ほしいよー。」と、大騒ぎをやらかしたのです。
なんとか、親御さんに引き取っていただいた父は、恥ずかしさと怒りで
顔を真っ赤にさせて、「お前らみたいな恥ずかしい子供はうちの子供じゃねぇ!」
と怒鳴り、自分たちをぶん殴ったのでありました。

その後、何週間か後だと思いますが、なぜかうちにカルピスがありました。
年度替わりのご挨拶で出入りの業者さんが職員室においていったものを
父が貰ってきたという記憶があります。
母は、「学校の先生は、絶対にものを貰っちゃ行けないのよ、わかった?
買えなくても、こうやって気にかけてお父さんもって帰ってくれたりするんだから、
欲しい欲しいと騒いじゃ駄目なんだからね。」といいながら、
カルピスを作ってくれました。

親御さんからは、ものを貰っちゃ駄目だという事だけど、
卒業した生徒さんが就職して自分の給料でおみやげ買って
年末年始に遊びに来るのは、とっても嬉しそうにしていた父です。
必ず「俺には酒を土産にしろ!」と言ってましたが、
元生徒さん達もうちが貧乏なのを心得ていて、年末に必ず蜜柑を一箱送ってくれる人、
ハムの詰め合わせをくれる人、子供達のためにジュースの詰め合わせを
持ってきてくれる人と、なんか役割分担していたような。
今考えると、いい人ばっかりだったなー。

210 名前:>208投稿日:2000/03/22(水) 19:37
教師がモノをもらってはいけない、という話と205さんの言ってる
話の本筋は違うと思うです。
教師が生徒の家庭訪問でお菓子を断るっていうのは、家でも覚えは
あるし、わかるけど

>その教師のいけないのは、みつかる可能性のあるところで
>捨てたってことなのかな。もってかえらないと

・・・・違うと思う・・・。職業柄、その先生が受け取れないなら
「私はいりませんので、ぜひ子供さんに」っていって断固受けとら
なければよかったし、もし受け取ったのなら、自分が食べなかったと
しても、他の好きな人に食べてもらうとか、とにかくくれた人の好意
を無にすることをしてしまったその先生の道徳感の無さが問題なのでは?

 それにその羊羹を出した親は相手が「先生」だからじゃなく、「いつも
子供がお世話になってる人」をもてなしたいという気持ちで羊羹を
用意したんじゃないかな。別に先生に限らず、めったに会えない親戚、
親身になってくれた人が訪問してきてもその家の人は、心づくしを
したんじゃないかな。

211 名前:>205投稿日:2000/03/22(水) 20:15
うそっ(驚きの意味で)!!その話、自分が小学生のときうちの母が
「PTAで聞いた」っていって話してくれたのとまるっきり同じ話だ!
有名な話だったんだね。
(ちなみにうちは九州。聞いたのは25年ぐらい前)

212 名前:>211投稿日:2000/03/22(水) 21:29
私も同じ話を聞いたことがあります。

たぶん、「道徳」というものを教えるときに、物の大事さとか
を教えるための1つの話なのではないかと思います。

>210

羊羹ならまだよくて、現金とか、金券をおみあげにする家庭も多い。

213 名前:名無しさん投稿日:2000/03/22(水) 22:30
うぇ〜ん、号泣。
会社でこのスレッドを見つけて読み始めたけど、泣けてきちゃって困るので、
今家に帰って読み終えました。
2chでこんなに感動するなんて、思いませんでした。

私は、実家が好きではなくて、10年ほど前に家を出ました。
でも、家を出て初めて親のありがたさとか、気持ちが分かった気がします。
未だに、母親が、父親が庭の畑で作ったたくさんの野菜や缶詰とかを
短い手紙を添えて送ってきてくれたりしてくれます。
その野菜で、母親の味を思い出したり、電話で作り方を聞いたりして、
煮物を作ったりするのですが、やはり何かが違います。
このスレッドを読んでいて、なんだか実家に帰ってお母さんの
料理が食べたくなってしまいました。

214 名前:名無しさん投稿日:2000/03/22(水) 22:41
叔父の家は、ウチから電車で1時間位の所で蕎麦屋を営んでいて
ちょくちょくと遊びに行っては美味しい物を食べさせてくれたり、
夏休みに一寸仕事を手伝っては結構な額のお礼を貰ったりと
可愛がって貰っていました。
産まれて初めて「ステーキ」なるものを食べたのも叔父の家でした。
叔父が焼いた「ステーキ」は当時、我が家では牛肉を滅多に
食べる事も無かったので、妹と二人でとっても喜びました。
それから、何年かして僕も社会人になっていた有る日の事
叔父が癌で発見が遅れた為、開頭手術をしても患部は全て
取り除けなかったと母から言われました。

手術後、妹と見舞いに行き、自分が癌である事を知らされていない
叔父は、「早く、店を開けなくちゃナ」と言ってリハビリをしていました。
叔母が病室の外で「抗がん剤で気分が悪い筈なのに、メシを食わないと
力が落ちるからって無理にご飯を食べているんだよ」って泣きっぱなしでした。
帰り際に、妹が「叔父さん、またステーキを焼いてね」、叔父が「うん」と
一言。

数週間後、叔父の娘さん(従兄弟)が予定を繰り上げて結婚式を
するとの事で出席し、そこで見た叔父はメッキリと老けてはいましたが、
結構シッカリした様子なので少し、安心しましたが、その数日後、
従兄弟が新婚旅行中に逝ってしまいました。

今でも、あの叔父が作ってくれた2度と食べれないステーキが
忘れられません。

215 名前:>205投稿日:2000/03/22(水) 23:35
なーんか小学校の時の道徳の教科書「にんげん」に載ってた気がすんなぁ
その子の家は貧乏で、汚い家に住んでたから・・・・ってオチだった

216 名前:名無しさん投稿日:2000/03/23(木) 02:26
私は小学校1年から4年までずっと同じ担任でした。
そのおじいちゃん先生は その年も例年のように家庭訪問にきました。
その日の訪問は家が最初で、当日珍しく私の父もいたのです。
私はすれ違うように友達と遊びに行き、夕方帰ってきてびっくり。
そこは宴会になっていました。すっかり酔っ払っている父と先生・・。
脇にビールが4,5本空いてました。母に「この事は内諸よ」と口止めされ…。
もちろんその日の訪問は家でストップ。後にはまだ3,4人はいたはず。。
訪問予定だったお宅には何と言い訳したんでしょう、、
あとから聞いた話では、先生も奥様を亡くされたり色々あったみたいです。
それだけ長時間いて私の話はほとんどなかったとか(笑)

217 名前:やだ、もう投稿日:2000/03/23(木) 12:47
泣けてきてしょうがないよー。
職場なんで、慌てて目薬さしちゃいました。

218 名前:名無しさん投稿日:2000/03/23(木) 13:35
花粉症なので、会社で周囲をはばかることなく涙を流しながら
読みました。

219 名前:名無しさん投稿日:2000/03/23(木) 15:57
ほろっとはくるけど、泣けないなどれも。
感受性が死んでのかな>自分。

220 名前:名無しさん投稿日:2000/03/23(木) 20:25
高校生の頃、母と兄の3人家族でした。
母も兄も仕事をしていたため、家に一人でいることがほとんどだった私の
唯一の遊び相手は猫のミーコでした。
ある日学校から帰ったら、珍しく兄がいて、「ミーコが車に轢かれて死んだ」
と聞かされました。私は「ふーん」とだけ言っていつものように夕飯の支度をし、
黙々と食事をしました。食べ終わった瞬間、涙が滝のようにあふれてきて
とまりませんでした。それから2日間、涙が止まりませんでした。
なぜあのとき、普通にご飯を食べたのか、今でもよくわからないのです。

221 名前:名無しさん投稿日:2000/03/24(金) 01:28
おばあちゃんがよく作ってくれた みそ田楽のおにぎり。
まるい形のおにぎりを焼いて丁寧に味噌を両面にぬったやつ。
おばあちゃんのしわだらけで今までの人生がしみこんだような手でにぎられたおにぎりは
なんとも言えず美味しくて大好きだった。
今おばあちゃんはぼけちゃって施設にはいっている。
自分でそのおにぎりを作ってみたけど やっぱりあの味にはならない。

222 名前:名無しさん投稿日:2000/03/24(金) 01:39
小学生低学年の頃です。
父が家に昼飯を食べに帰ってきたのですが、何か嫌なことでもあったのか
その日はかなり機嫌が悪かったのです。両親は自営業をやっていて、悪い
ことにその日は休日で人がおらず母も忙しかったため、簡単にカップ麺
で済まそうとお湯の用意をしていたのでした。
食卓についた父が何かのことで母をなじり、気が強かった母は父に言い返し、
父はその母の言葉に反論できなくて、眉間のしわをさらに深くして不機嫌そ
うに黙っていました。
母がカップ麺にお湯を注いでふたをした直後、父がそれを母に向かってなぎ
払いました。ふたが外れて中の熱湯が母の手や足にかかり、母は床にうずく
まって泣いてしまいました。カップ麺の散乱した中で、やけどした手を押さえ
「痛いよう、痛いよう」と子どものように泣く母の姿は、普段母の強気な姿しか
見たことがなかった私にはとてもショックでした。恐らく母にとっても、父の
その仕打ちは非常にショックだったのだろうと思います。
その後、さすがに父も悪いと思ったのか、母を病院へ連れて行きました。
床を掃除しながら、母がかわいそうだという気持ちと、こんな家庭にいる
しかない自分が子どもながらにみじめに感じて、泣けて仕方ありませんでした。
病院から帰ってきた母の、手や足に巻かれた包帯やガーゼは直視できませんでした。
その両親は何年か前に離婚し、去年父の会社も倒産しました。
サンポーの焼豚ラーメンを見ると、その時の嫌な気持ちがよみがえります。

223 名前:名無しさん投稿日:2000/03/24(金) 03:53
せつないねぇ・・・。

224 名前:>222投稿日:2000/03/24(金) 04:11
これから幸せになられるといいですね。心からそう思います。

225 名前:>39投稿日:2000/03/24(金) 04:22
その気持ちわかります。
あとで思い返して胸が痛くなるんですよね。
いま悪いと思った気持ち、絶対相手に伝わると思いたいっす。

226 名前:>61投稿日:2000/03/24(金) 04:23
祖父様はいまも健在なのでしょうか。
つらいですね。自分を思ってくれたお菓子を捨てられちゃうなんて。


227 名前:226投稿日:2000/03/24(金) 04:24
同じような経験があるので、読んでて身につまされました。


228 名前:>74投稿日:2000/03/24(金) 04:24
いい彼氏だったね…

229 名前:>220投稿日:2000/03/24(金) 05:20
とっても辛い出来事ってすぐには実感できないから、夕御飯を食べて
お腹がおちついたら、さめざめと実感してきたんじゃないかな。
私も大好きだったおばあちゃんが死んじゃった時、30分くらいして
いきなり泣き出した。遺体とはとっくに対面してたのに。

230 名前:親不孝者投稿日:2000/03/24(金) 05:42
高校2年の秋、母が癌で入院した。
若干マザコンの気があった私は毎日学校が終わると病院に直行し
面会時間が終了するまで母と一緒に過ごしていた。
ある日、学校ですごくイヤなことがありムシャクシャした気分のまま
病院へ向かったのだが、病院の駐輪場で自転車の置き場所のことで
警備員にちょっとキツメに注意され、不機嫌だったこともあり口論になってしまった。
ますます不機嫌になった私が母の病室に着いても憮然としたままでいると
母は気を遣ってお見舞いのフルーツ籠からバナナを1本取ってくれた。
当時はバナナが大好物だったのだが、まだ幼かった私は気分の切り替えが出来ず
不機嫌な顔のまま「いらない」と言ってすぐに家に帰ってしまった。
母はキョトンとした顔で私が病室を出て行くのを見送っていた。
それから2、3日の間気まずい思いで病院に行かなかったのだが
次に会いに行った時には母の病状が急激に進行していて
会話すらまともに出来なくなっていた。
その後は死相の浮かんだ母の顔を見るのがイヤで、結局臨終まで病院に行けなかった。
なぜあの時もっと母に優しくできなかったのか。
なぜあの後今まで通り会いに行かなかったのか。
あれから10年以上経つけれど未だに当時の自分が許せない。
そしてその時以来バナナが食えなくなりました。

231 名前:彼と食べ物と私投稿日:2000/03/24(金) 09:09
8年前、彼は留年の決まった大学4年生で、とても貧しくだらしない生活を送っていた。
お金持ちではないけど不自由のない自宅OLだった私は彼に何かしてあげたくて
慣れない料理を覚ることになる。ほとんど私がお金を出して食材買ってたので
悪く言うと「ヒモ」みたいなものだったかも・・・

初めて彼の部屋で食べたのはカレーライス。
家から2合の米とレトルトのカレーを持って行ってごはんを炊いたのは良かったけど、
カレーライスを盛るお皿がなくて(かろうじてスプーンはあった)、結局、
炊き立てのご飯の入った炊飯ジャーに温めたカレールーを入れて二人で食べた。
一つのお釜から直接食べるのがおかしくて、二人でくすくす笑った。

次に作ったのは親子丼。
「ぶきっちょさんのお料理ブック」と言うレシピ本を買った私は
夕方からバイトに出掛ける彼の出勤に間に合うように一生懸命卵を溶いた。
卵に気を取られるあまり、炊飯ジャーのスイッチを入れ忘れているのに気付き
慌ててご飯も炊いたんだけど時間ギリギリになっちゃって
ご飯が熱いのを我慢して一生懸命かきこんで食べた。
ちょうど「美味しんぼ」の再放送で親子丼の回だった。
自分の作ったものが画面の親子丼と違ってないかドキドキした。

初めてケンカしたのはビーフシチューを作った時だった。
煮込んでいる間に彼がイビキかいて寝てしまったのが悲しくて
お鍋を火から下ろして泣きながら家に帰った。
起きてびっくりした彼が電話で謝ってきてすぐにまた会ったんだけど
お金もないのに大学の生協でお菓子を買ってくれた。
彼の部屋に戻るまでほとんど口を聞くことはなかったけど
手だけはぎゅっと握り合っていたのを覚えている。

3年前、私は彼の扶養家族になりました。
今日の晩御飯は何にしようかな。

232 名前:名無しさん投稿日:2000/03/24(金) 09:21
奥さん、奥さん、まだ朝ですけど。(笑

233 名前:名無しさん投稿日:2000/03/24(金) 11:25
>231
田嶋陽子が怒りそうな(笑)メルヘンな人ですね
そうそう、ごはんつくってるときの態度ってむかつくときあるよね。
私は、料理してるときに音楽をきこうと思って、かけてたらその横で
テレビつけられたので怒ったことがある。ま、気づかないんでしょうが…
世話するのがキライで、世話してちょうだい!とおもってる私でも、
料理だけは自分でする。というか、食事にかまわない男の人に異常に弱い。
今日は朝から菓子パンいっこしか食べてない、というようなことをきくと
胸がときめきます。
(若い男の子に限る)


234 名前:名無しさん投稿日:2000/03/24(金) 11:52
今朝(と言うより昨日の夜)から何も食べてません。(泣
でもご飯よりもそろそろ睡眠の方が…。

235 名前:61投稿日:2000/03/24(金) 13:08
>226さん
祖父は亡くなりました。だからよけい辛いです。
母も悪い人ではないので、ちょっと機嫌が悪かっただけだと思います。
けれど、私はああいうことをしないようにしようと思ってます。

236 名前:名無しさん投稿日:2000/03/24(金) 14:18
今気がついたけど、「からい」と「つらい」は
同じ字なのねん。食べ物って奥が深い・・・

237 名前:ビール投稿日:2000/03/24(金) 17:30
 ビールは横に冷やすとうまい、と父は言っていた。
そんなわけはないと、と言っても聞かず、冷蔵庫に決まってビールを横にして冷やしていた。
酒以外煙草もギャンブルやらない親父にとって、ビールに関してだけこだわりを
持っていたのかもしれない。酒が飲めなかった俺は、一緒に飲むこともなかった。

 親父が死んだ時、なぜかそんなに悲しくなかった。あっけないな、とは思ったが、
何か時間が寸断されるような感覚はなかった。親戚が自宅にきて、これからのことを
話し合っているときに、ふと何か酒が飲みたくなり、冷蔵庫を開けた。

 横になったビールがあった。時間がぎゅっと凝縮されて、思い出すべきことが多すぎて、泣いた。

238 名前:>237投稿日:2000/03/24(金) 18:06
私も、もらい泣き(涙)

239 名前:名無しさん投稿日:2000/03/24(金) 19:45
高校3年生の時、隣のクラスの好きな子を映画に誘って
運良くOKの返事をもらい、映画の後お決まり喫茶店で
とりとめの無い話をしたな。
自分が何話したか食べたかは忘れたが、彼女がエビピラフを
食べたのは今でも覚えている。
店で告白しようと思ったが、すぐ隣に人がいたので店を出てから
告白、返事は「いい友達でいましょう」あえなく撃沈。
高校の友人にたまに会うが、彼女のこと聞けない
「結婚した」と聞いたら心臓止まるかも…

240 名前:名無しさん投稿日:2000/03/25(土) 13:55
age

241 名前:円谷幸吉の遺書(閑話休題)投稿日:2000/03/25(土) 15:37
父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました。干し柿、モチも美味しゅうございました。
敏雄兄、姉上様、おすし美味しゅうございました。
克美兄、姉上様、ブドウ酒とリンゴ美味しゅうございました。
巌兄、姉上様、しそめし、南蛮漬け美味しゅうございました。
喜久造兄、姉上様、ブドウ液、養命酒美味しゅうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄、姉上様、往復車に便乗させて戴き有難うございました。モンゴいか美味しゅうございました。
正男兄、姉上様、お気を煩わして大変申しわけありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になって下さい。
父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい。気が安まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。
幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。

242 名前:>241投稿日:2000/03/25(土) 15:47
閑話休題の使い方が間違ってるよ。

243 名前:>241投稿日:2000/03/25(土) 19:46
昔、そのまま歌詞にして歌にしたグループあったよね。
女性ボーカルが「幸吉はもーう、走れません♪」って歌うの。
スポーツ選手にとって仕事以外のいちばんの興味って、やっぱ食べ物なんだなあ
と思うと、なんかやるせない。
世の中にはもっと楽しいこといっぱいあるのに。

244 名前:名無しさん投稿日:2000/03/26(日) 04:13
私の父は40代前半で、ガンのために、発覚してから数カ月で他界しました。
死亡する前日父の病室に行き、いつものように梅干しと、母が作った おかずをを差し入れました。
入院直後からちょくちょく差し入れはしていたのですが、そんなにすぐ死んでしまうとは
考えもしなかった私はそれが億劫で、いつも夕食の時間より遅く届けていました。
帰りがけ父が、何か言いたそうにしていたのをぐっと呑み込んで、バイクで帰る私に
「気をつけてな」と、いつものように一言声をかけました。
それが最後の言葉でした。

その後私は何度か入院することがありました。
体調が良くなると、病院の生活は実に退屈で「次の食事まで後◯分」という気持ちで
時計を見るようになります。
その食事があまりおいしいものではなく、また量も物足りない。
父が差し入れをどんなにか楽